(ポーチュラカ)
尾長なる飛行機雲や終戦日
今日は終戦の日、子供の頃の両国界隈にはまだ
防空壕の後があった
戦後5年生れのころころの記憶に有るのだから
下町の復興は遅かったのかも知れない
姉は昭和20年3月の生れだが、余りにも激しい
空襲で産婆も逃げ出し、祖母がとりあげたと言う
出生届も役所が焼かれ、結局5月になってから提出
できたそうです
姉の小学生の集合写真を見ると姉だけが一人飛び抜
けて背が高く写っている、届けの関係で
21年生れの子供達に交じっているからで、学芸会では
姉はお母さんやおばあさんの役ばかりだった
私の通っていた墨田区立二葉小学校も戦災時には
戦災の炎を逃れて多くに人が逃げ込んだらしいが
火のついた荷物から中でも火事が起こり、校庭や校舎を
問わず焼死者の山だったらしい
8月15日小学校は登校日になっており、全校で黙祷を
した事が記憶にはっきりとある
亀戸や深川や向島の親戚もこの戦災で亡くなった
私にとってこの日は忘れがたい思い出の日でもある