( 杜若・燕子花 )
写真は椿山荘の庭の杜若。アヤメ科の中でもころころが一番好きな花です
夕暮は人美しく杜若 高木晴子
父恋ひの色の噴き出すかきつばた 鍵和田釉子
かきつばた紫を解き放ちゐし 細見綾子
燕子花書院は池に影正し 水原秋櫻子
湿原に水の道つく燕子花 上田五千石
羅漢みなをのこばかりや杜若
( 杜若・燕子花 )
写真は椿山荘の庭の杜若。アヤメ科の中でもころころが一番好きな花です
夕暮は人美しく杜若 高木晴子
父恋ひの色の噴き出すかきつばた 鍵和田釉子
かきつばた紫を解き放ちゐし 細見綾子
燕子花書院は池に影正し 水原秋櫻子
湿原に水の道つく燕子花 上田五千石
羅漢みなをのこばかりや杜若
( 牡丹・ぼうたん・富貴花 )
平安時代の勅撰集「詞花集」では春の季題だった牡丹、現代俳句では夏の季語
ですね。 ころころが大好きな俳人細見綾子さんも多くの牡丹を詠んでいます。
牡丹に真向ふごとき一日あり 細見綾子
牡丹七日いまだ全容くづさざる
牡丹七日中の三日は雨しとど
牡丹十日母にもの言ふ如きかな
牡丹のため朝夕を土に佇つ
老ゆることを牡丹のゆるしくるるなり
鑑真と母へ最後の牡丹挿す
何といふ風か牡丹にのみ吹きて
わが八十水色のシャツ牡丹の前
( 蚕豆の花 )
俳句でいう豆の花はこの蚕豆と豌豆のこと。ぜんぜん趣が違う花なのに
一句に違いを詠み込むのは困難のことでしょう。ただ豌豆には花豌豆という
呼び方もあり、紫の花はまた可憐ですね
そら豆の花の黒き目数知れず 中村草田男
そら豆の花にきかれし独り言 米村合歓花
白き花のみの一と畝豆畑 山口いさお
蒼空に陽のそだちゆく豆の花 衛藤圭子
独り言
今日はNHK ニッポン全国俳句日和 BS11 で11時からです
「春の水」「地名の入った句」「当日題」 是非投句を
ころころも当然します。
これから「山ゆり句会」へ行ってまいります
( 藤・藤の花・藤棚・藤浪・山藤 )
天心にゆらぎのぼりの藤の花 沢木欣一
藤の房吹かるるほどになりにけり 三橋鷹女
藤房の盛り上がらむとしては垂れ 鷹羽狩行
住み捨てし山家なりけり懸り藤 今井つる女
桃色梅花いかり草
独り言
本当の独り言。可笑しい言い方だけど・・・
なぜ、俳句を競うのだろう。競うからいろいろな問題が起こる
俳句は結局自分に帰依する。俳句は自分の人生を豊かにするための手段
上手くならなくてもいいじゃないか。 自分らしく詠めていれば
ずっと感じてきたことに、それは俳句人口の多さ、そして俳句人年齢の高さにもある。
良い学校を出て、一流の仕事をしてきて、立派に家庭人として過ごしてきて
今更、競わなくても、句会は競いの場じゃない。
ころころけして俳句がうまいわけじゃない。これは自分のことだからよく分かる。
ころころの自慢は長い時間、俳句を手段として素晴らしい人と出会い、俳句を楽しんで
こられたこと他ならない
独り言を書くとき、ある思いを届けたいと思う人がいつも浮かぶ
その時々にちがうけれど。 俳句は自分自身の魂の詩。今日はこれを届けたい