(しょうぶ 赤塚山乗蓮寺)
僧坊のをとこ手前や軒菖蒲
季語が動かない俳句を詠むのには?
あれやこれや論じる書物もありますが、ころころは
こうしています。
まずは季語を詠もうとして俳句をすることで、後から
季語をつける習慣をなくしました。
それでも、何かに触発された一行は句帳などに残し
即詠を避けます。即詠になるとその一行に溺れ
季語などとりあえず当季ほどのものになってしまう
からです。
それから吟行句会などでは句が拙くなっても
眼前の景から浮かび上がるものは写生だと考えて
いてます。そこの付かず離れずは多くを詠んで会得
する他はないのですが、見たものだけを句に詠もうと
すると説明になり易く、感じたものだけを詠もうとすると
独善的になってしまう傾向にあるようです。
言葉が足りないかも知れないけど、季節を詠むのが
俳句の決まりであり、詩に季節をつけるこが決まりでは
ないと考えています。
季節を詠むにはなにしろ歩くことだと思います。