( 仏の座 )
冬季オリンピックの女子フィギアスケートの日本の三選手,頑張りました。
優勝した韓国のキム・ヨナ選手の演技も素晴らしかった。
又,カナダのジョアニー・ロシェット選手はこの日の4日前に応援に来ていた母親が
亡くなったという中、最後まで素晴らしい気力を見せてくれました。
思いっきり感動しました。
百坊の跡の日だまり仏の座 竹村竹聲
打ち晴れて富士孤高なる仏の座 勝又一透
遠来のもののごとくに仏の座 鷹羽狩行
仏の座はびこる果の牛舎かな 大坪沙衣子
独り言
あるITサイトの書き込みに「俳句は選ばれてこそ俳句」という一節を見た。
きっと鷹羽狩行の俳句の秘法からの引用だろうけれど、まことに結社人的な考えだ。
もし、その著書をバイブルとしているなら、独房や病床や、戦場で詠まれ、そのまま遺品の
手帳にあった俳句は俳句でないというのだろうか。
引用の仕方に問題があると思う。
俳句の秘法は俳句入門書で秀句への道への誘導。俳句の定義を書いているものではない
人それぞれに,俳句感があってもいいと思う。また楽しみ方があっていいと思う。
良い俳句を詠む人はどんどん増えていくけれど、それに見合った広い俳句感をもった人が
少ない。結社は俳句作品の答えが出るところ。巷でのIT句会は互選で高点であっても
それが良い作品だと自身言い切れない、自信のなさが残る。
結社誌誌上なら兎も角、だれでもが参加できる、だれでもが閲覧できるIT句会では、この断言
は気になった。 ただし鷹羽狩行ならば断言も許される、なぜならその著者として責任をとれるから。
( 小綬鶏 )
今ごろの散策の楽しみに野鳥との出会いがあります。人間の勝手で季語になって
しまっていますが、眼白(夏)翡翠(夏)頬白(春)鶺鴒(秋)鵯(秋)四十雀(夏)等など・・・
今の季節でも見かけ、その声も楽しませてくれます。
平日の植物園は人も少なく、野鳥を楽しむには最高です。
時たま草むらからシャシャと掃くような音がします,眼を凝らしてみると小綬鶏が
草の中を嘴で掻き分け、虫や木の実を漁っています。最初は雉鳩だろうと思って
いましたが,よく見ると小綬鶏でした。 俳句をするようになって野鳥への感心も
深まりこれも俳句のまわりを楽しむことなのでしょうね。
小綬鶏の妻恋ひ節のちよつと来い 沢木欣一
小綬鶏は鳴く声のみに草茂る 藤井和子
一列に小綬鶏よぎる山の畑 中川 奈美
小綬鶏よぶ方へ誘はれ栗鼠に逢ふ 平井さち子
( 菊咲き一華・茂吉忌 )
1953年の今日25日はアララギ派の歌人、斉藤茂吉の没日です。
茂吉忌の目刺より抜き藁熱し 鷹羽狩行
茂吉忌の万年筆の太さかな 大牧 広
深空より茂吉忌二月二十五日 飯田龍太
茂吉忌の逆白波の河口かな 佐藤信三
独り言
昼間時間が少し出来て植物園に行ってみた。色々な花が咲きそろった園も
いいが、芽吹き時の園は尚いい。 菊咲き一華が土を割って一花だけ咲いた。
今日は茂吉忌、忌日俳句は難しいと言われる所以は余程その文学者に傾倒
していなければ忌日まで覚えていない。 つまりあまり季感がないからだろう。
斉藤信三の句は茂吉の歌
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも 「白き山」から
一節を被せて詠んだもの、忌日俳句を詠むヒントかも知れない
( 杉の花 )
花粉アレルギーの人には、たまらない写真でしょうか?
厠もる誰かのくさめ杉の花 鈴木鷹夫
ただよへるものをふちどり杉の花 富安風生
嫌われてゐるとは知らず杉の花 清水シズヨ
山鳩の泪目赤し杉の花 無聞 齋
( 猫柳 )
今日は平成22年2月22日 2の5連荘。 平成の時代では次の5連荘はありません
だからと言って,何? なんですが・・・・
猫柳下枝は水浸く布留の川 細見綾子
来て見ればほゝけちらして猫柳 細見綾子
ときをりの水のささやき猫柳 中村汀女
猫柳故郷にありし空の色 山田紀子
( ときわ万作・金縷梅・銀縷梅 )
万作やゆるびそめたる海の紺 行方克巳
金縷梅や帽を目深に中学生 川崎展宏
まんさくや竹曳く牛のあそびおる 関戸靖子
満作に夕べのいろや小海線 大嶽青児
余談
最近少し気になる事に季重なりの句があります。一年中目にする鳥も季語としてあり、例えば
炭焼き小屋も建物ですから一年中見かけます。春に冬の季語を詠み込むのには必然が
無いといけない。俳句は単一化つまり十七音の中に一つの景色(物語)を詠む事によって
もたらされる事が詩の深みを感じさせるものですし、詠み手に景色がはっきりと伝わる。
ですから二物衝突の句には使えないものとして考えるべきでしょう
二物衝突とは 春の季語(五音) + 冬の季語(を含む十二音)が同じ比率にある事です
違うと言っても二つの季語の物語が存在すればそれは二物になります
同季の季語の重なりの場合、その季語それぞれ大小の位置付けが必要ですが、大方
二つの季語をいれた句は失敗作となる場合が多いと思われます。
俳句の鑑賞や講評は厳しくあるべきで、場に任せた円満解決はけして向上になりません。
無季俳句や十七音に拘らない俳句を目指す以外では、定型、有季(単一)の形をもう一度
初心に帰って句作をすべきではないでしょうか。
乱暴な言い方ですが、そういう句を詠まないのも技巧です。
( 梅林 )
赤塚城址公園の梅林、白梅の明りはまさに薄雲がかかったようです
梅林を額明るく過ぎゆけり 桂信子
梅林の真中はここと決めて坐す 茂里正治
また空の青さを言って梅林 小池万里子
梅林といふ密々の花のこゑ 上田日差子
今日は内藤鳴雪忌です(浅草神社内碑)
( 菫 )
昨日は,東京に朝からの雪になりました。
暖冬だと言われた22年の2月も例年に比べて平均気温が1.5度ほど低かった
ようです。植物園にはまだ春の草花は少ないけれど、待春の気持ちを込めて菫の
写真を掲載しました。
高館の崖のもろさよ花菫 沢木欣一
壷菫吉野離宮と伝へけり 阿波野青畝
かたまるとなくかたまりて花すみれ 片山由美子
耳立てて走る仔犬や花すみれ 小村ふみ
余談
高橋大輔選手が銅メダル!おめでとう!素晴らしい精神力でしたね。
24歳の青年が私たちに見せてくれたものは華麗な演技だけではなく、最後まで4回転に
こだわったチャレンジへのプライドでしょう。 解説者やアナウンサーが後に言った言葉で
単にメダルを狙うなら4回転はしなかった、彼は4回転を含めた演技こそ自分の狙ってきた
ものと決めていたのでしょう。
プロスケーターの佐野稔さんへのインタビューで何故彼は4回転にこだわったのでしょう?
という質問に「きっと難しいことへのチャレンジこそロマンと感じたのでしょう」
俳句という詩の一ジャンルに居る私たちが、結果ばかりにこだわってロマンを忘れている
そんなことがないようにしたいですね。