(秋薔薇 ヘルムートシュルト)
王家絶え宮殿遺り秋薔薇 嶋田摩耶子
最近、余り感想を書かなくなった理由の一つに「自戒」がある
句歴を引っさげてものを申すことが気がかりになった
ここに書かれていることは「俳論」ではなく体験であり
学んできたそれぞれの時期に見えてくるものが違うからです
一番中途半端な時期は「俳句の本論」などと言う事を口にだしました。
感性の俳句の難しさは、感性の衰えにあると思うのです
詠者と読者が同じように感性が衰えないことに独走となる
「ひとりよがり」の句になるおそれがあります。
勿論、写生のしっかりとした基礎の上に立つ感性はそのつど衰えを
補うのです。写生、写生というと堅苦しいのですが俳句という自分の
詩を他者に深く伝えたり、感動を共有するためにの一つの重要な
方法だと感じています。吟行は写生しに行くのではなく詩を詠むための
心の昂揚と心眼を鍛錬するものだと考えれば気が楽です。
こんな事を書いたのも自分への戒めです。
俳句は「伝えよう」とする気持ちが大切なのでしょう。
(いわがねぜんまいの実)
ポケットに木の実ポシエットにも木の実 大石悦子
仕事帰りに、少し時間が有ったので寄り道をしました。
旧古川庭園の秋の薔薇展、見事でしたが少し盛りを過ぎたようですね
しかし見事なもの・・・明日から撮ってきた写真を順に掲載しますが
・・・あまり見事な景色に俳句を忘れていました・・・
(げんのしょうこ)
げんのしょうこ 現の証拠 漢字で書くとこうなります。
下痢にすぐ効くと祖母に飲まされた覚えがあります。
すぐ効く→現の証拠です。
現の証拠の花と呼ばれてももいろに 辻桃子
踏みさうなところに現の証拠かな 雑賀 遊
(ふゆさんごの花)
冬珊瑚ころと呑みこみ尾長去る 谷 和子
今日は久しぶりに何も無い日、何もない日とは可笑しい話
父、母、義父、義母 長命でいてくれる。
瀬戸内寂聴さんの「長命」と「長寿」の講話を聞いてから
その違いを日々強く感じている。
親の世話をする、子の世話をする、これは与えられた仕事
ありがたいと思えば楽しく思える。
本来 仕事とはそういう事
働きにゆくのはその仕事をまっとうする為の作業に過ぎない
それに振り回されている自分ではありますが・・・