10月31日

2007-10-31 00:05:13 | Weblog

     (秋薔薇  琴音)

 

 山芦屋らしき暮しの秋薔薇   山田弘子

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10月30日

2007-10-30 06:08:11 | Weblog
     (秋薔薇  ゴールデンイダイオン)
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10月29日

2007-10-29 06:06:29 | Weblog

   (秋薔薇  熱情)

 

 薔薇園に海の気とどく秋日和    槫沼けい一

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10月28日

2007-10-28 06:44:19 | Weblog

    (秋薔薇 ヘルムートシュルト)

 

 王家絶え宮殿遺り秋薔薇   嶋田摩耶子

 

最近、余り感想を書かなくなった理由の一つに「自戒」がある
句歴を引っさげてものを申すことが気がかりになった
ここに書かれていることは「俳論」ではなく体験であり
学んできたそれぞれの時期に見えてくるものが違うからです
一番中途半端な時期は「俳句の本論」などと言う事を口にだしました。

感性の俳句の難しさは、感性の衰えにあると思うのです
詠者と読者が同じように感性が衰えないことに独走となる
「ひとりよがり」の句になるおそれがあります。
勿論、写生のしっかりとした基礎の上に立つ感性はそのつど衰えを
補うのです。写生、写生というと堅苦しいのですが俳句という自分の
詩を他者に深く伝えたり、感動を共有するためにの一つの重要な
方法だと感じています。吟行は写生しに行くのではなく詩を詠むための
心の昂揚と心眼を鍛錬するものだと考えれば気が楽です。
こんな事を書いたのも自分への戒めです。
俳句は「伝えよう」とする気持ちが大切なのでしょう。


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10月27日

2007-10-27 00:00:32 | Weblog
   (秋薔薇  ノスタルジー)
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10月25日

2007-10-25 06:04:46 | Weblog

    (いわがねぜんまいの実)

 

 ポケットに木の実ポシエットにも木の実   大石悦子

 

仕事帰りに、少し時間が有ったので寄り道をしました。
旧古川庭園の秋の薔薇展、見事でしたが少し盛りを過ぎたようですね
しかし見事なもの・・・明日から撮ってきた写真を順に掲載しますが
・・・あまり見事な景色に俳句を忘れていました・・・


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10月24日

2007-10-24 00:01:56 | Weblog

   (ゆずりはの実)

 

 椋鳥の木の実の嘴を右往左往   星野立子

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10月23日

2007-10-23 19:07:40 | Weblog

    (げんのしょうこ)


げんのしょうこ 現の証拠 漢字で書くとこうなります。
下痢にすぐ効くと祖母に飲まされた覚えがあります。
すぐ効く→現の証拠です。

 

 現の証拠の花と呼ばれてももいろに   辻桃子


 踏みさうなところに現の証拠かな    雑賀 遊

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10月22日

2007-10-22 06:05:27 | Weblog

   (まるばふじばかま)

 

 藤袴にもひとこゑや山鴉   藤田湘子

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10月21日

2007-10-21 00:18:38 | Weblog

     (ふゆさんごの花)


 冬珊瑚ころと呑みこみ尾長去る  谷 和子

 

今日は久しぶりに何も無い日、何もない日とは可笑しい話
父、母、義父、義母 長命でいてくれる。
瀬戸内寂聴さんの「長命」と「長寿」の講話を聞いてから
その違いを日々強く感じている。
親の世話をする、子の世話をする、これは与えられた仕事
ありがたいと思えば楽しく思える。
本来 仕事とはそういう事
働きにゆくのはその仕事をまっとうする為の作業に過ぎない
それに振り回されている自分ではありますが・・・


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