10月12日

2007-10-12 00:13:39 | Weblog

   (やまはぎ)

  <雑記>
最近は、俳句に関して自論を書かなくなった。
色々理由はあるが、やはり俳句は体験的に覚えることが
正しいのだろうと思う、結社や様々な句会で賞を貰って少しずつ
自信が芽生え、見えてくるものがあるから
見えてきてからが本物の俳句と向き合うこととなる
その為には優れた鑑賞者が身近に居ることが大切に思う
俳句一句は一期一会、主宰や先輩より優れた作品がまぐれとして
生れるが、こと鑑賞に至ってはまぐれがない。
よく句会等の講評で作者の景色や心情と違った鑑賞されことがある
そのときは「そういう鑑賞もあるのか」とやり過ごしてしまう。
そういう過程もあるが、ある程度学びが出来てからは、作者の本意が
俳句に生きていないことも反省として素直に受け止める。
詩を伝える力が乏しいと自覚しなくてはならないと思う。


俳句は美しい景色を言葉で伝えるだけのものではなく、
自然を借景にして作者の紛れも無い詩情を表現する
世界一短い詩だと思っています。


 山萩の一夜もありし放浪記 片山辰水


 山萩の撓みに細る塩の道 村上光子


 山萩に湖の微力をおもひゐる 金田咲子


 七日喪の山萩とりに来て泣けり 関戸靖子



コメント (2)
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