(秋薔薇 ヘルムートシュルト)
王家絶え宮殿遺り秋薔薇 嶋田摩耶子
最近、余り感想を書かなくなった理由の一つに「自戒」がある
句歴を引っさげてものを申すことが気がかりになった
ここに書かれていることは「俳論」ではなく体験であり
学んできたそれぞれの時期に見えてくるものが違うからです
一番中途半端な時期は「俳句の本論」などと言う事を口にだしました。
感性の俳句の難しさは、感性の衰えにあると思うのです
詠者と読者が同じように感性が衰えないことに独走となる
「ひとりよがり」の句になるおそれがあります。
勿論、写生のしっかりとした基礎の上に立つ感性はそのつど衰えを
補うのです。写生、写生というと堅苦しいのですが俳句という自分の
詩を他者に深く伝えたり、感動を共有するためにの一つの重要な
方法だと感じています。吟行は写生しに行くのではなく詩を詠むための
心の昂揚と心眼を鍛錬するものだと考えれば気が楽です。
こんな事を書いたのも自分への戒めです。
俳句は「伝えよう」とする気持ちが大切なのでしょう。