(踊子草)
踊子草踊りしままに栞られて 稲畑廣太郎
季語のニュアンス
言葉の意味からすれば同じものが、俳句になれば少し趣が違うようです
これは感覚的なお話ですが・・・
春泥のそのごちやごちやを恋と呼ぶ 櫂 未知子
春泥に処刑のやうな転びかた 長谷川秋子
近道をしてゐるつもり春泥に 稲畑汀子
乳母車の車輪がつけて行く春泥 細見綾子
玄室へ靴の運びし春の泥 八染藍子
捨てがたき子の我楽多よ春の泥 大場ひろみ
ゆるゆると児の手を引いて春の泥 杉田久女
五稜郭の一稜を踏む春の泥 小林康治
何となくお気づきでしょうか?
春泥のほうがぬかるみを感じますね、これはものの本の受け売りですが
この辺の感覚を覚えておくと佳句を呼ぶかもしれません
歳時記などでは同じ所に書かれているしそれ程の確かな説明がある訳
では無いので、ただ見出しの季語、傍題の季語として認識してしまいます
こんな微細なところも俳句の楽しみです
季語に語らせる、季語を味方につける、にはやはり季語をしっかり体得
することだと思います