
ブログ10日目、自分の書き込みを振り返る。
かなり、自慢気、嫌味な奴
自分を客観的に見るにはいいきっかけになるだろう。
今日BS放送で俳句甲子園出場高校の横顔や勉強風景
予選風景が放送された。頼もしくくも少し心配な気持ちになる。
それは、それぞれの持ち寄った句を発表し、相手の高校の句に
対して,季語の落ち着き、表現の必要性などを論破していくもので
最終的には審査員(俳句関係者)3名による、その論戦をもって
紅白の旗で勝利が決まる。
つまり、相手校の句に対して「否」から始まるのだ。
若いうちは競うことで伸びると言うことはあると思う。
競うために多作をしては切り捨てていく。多作多捨。それはいい事。
心配なのはその「否」から始まることが問題、
句歴ばかり長くて,俳論も文法も妖しい自分だが、俳句の力は何?って
聞かれたら、「鑑賞の力」と」答えるだろう。時には作者の見た風景や
心情を読者は同感や既視感をもって、物語をひろげて時には作者が
驚くほどの詩となって昇華をとげることがあるからだ。
今やはやりのIT句会も参加者が談話室などフリートークをさせれば
荒れ放題に荒れる。一個人が私に分からないから「否」という
。私は「否」からは何も生まれないと感じている。

浜木綿や目鼻もしれぬ潮仏

何人に採られるかより、誰に採られるかが重いときがある。
だからこそ、選句を大切にしなくては・・・

流星のあと軋みあふ幾星座 福永耕二
そうそう,俳句は楽しむものですよね。
そうは言っても現代はすべてに於いて勝ち組,負け組と
分けたがる風潮にあります。そんな大人社会で大人の
規制で俳句をしてるんです。芭蕉さんの時代とは違いますが、せめてのんびりと楽しんで欲しいものです。
しかし,その子供達の才能は素晴らしいものが有ったことは喜ばしいことですね。