添削指導の矛盾

2006-06-24 19:36:31 | Weblog
       
       おかとらのお(赤塚植物園)

 私の将来の夢。それは仕事を降りたときに俳句ボランティアをするということ。
 今そのために俳句の鑑賞の視野の奥深さを特に意識して学んでいる。
 何でもそうだろうと思うが、意識をしなければ特に吸収できない。
 
 ある句会での話。主宰は句会から遠隔地で添削指導をしている。
 それはどこの結社もしていることだから問題ではない。
 ただ主宰は句会前に必ず吟行をして句会を行うようにと指導し
 その句会に投稿された嘱目の句を幹事は主宰に送り、後日主宰選として
 添削があればして、主宰選として発表がある。
 ここに問題がある。時には作者の見た景色や連衆の共感した景色などが
 添削によってほとんど残らずに主宰選になる。
 当然。同席していれば疑問点はその場で解決するし、主宰も同じ景色を見ての
 添削ならば連衆だれでも納得するだろう。

 私がもし主宰の立場で吟行に同行せず添削をするとすれば、切れ字、てにをは、
 誤字、脱字、類想類句の注意ぐらいしか出来ないだろう。
 どんな立場の俳人でも景色の添削はしてはいけない。
 景色の添削は吟行句を否定する事にも等しいと思う。
 それが可となれば、見ていない景色でも主宰選だから良いとなる。
 私が声高にこれを言えばまた擁護論もでるのも俳句界だと思う。
 
 その主宰の人間性も過去の作品も素晴らしいと思っているが・・・ 

 
 
 
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6月23日 | トップ | 季語を体感する »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事