
紺絣春月重く出でしかな 飯田龍太
私の俳句の心をここまで導いてくれた孤高の俳人
飯田龍太が亡くなった。2月25日のこと。
86歳である。
62年に父の死去により引き継いだ「雲母」も92年に
通巻900号で終刊し一切の俳句の活動を終えた。
当時71歳だった。
またもとのおのれにもどり夕焼中
この句が「雲母」終刊によせた龍太の一句
誰にも憧れや目標の俳人が居るだろう
私にはいつも龍太がいた。
龍太の言葉で「俳人は無名がいい」つまり作品だけでいいと
いうこと。私はこの言葉を信じ新しい句会や投句にはその都度
俳号を変えて八つの俳号を持つようになった。
これには様々な理由もあるのだが・・・・
「作品が一人歩きをすれば本物」これは登四郎先生の言葉。
これからも両先師に恥ずかしくない俳句を詠み続けようと
思う。
(写真 昭和54~56年のころころのスクラップブック)
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