2月28日

2007-03-01 00:25:19 | Weblog


    紺絣春月重く出でしかな   飯田龍太

 私の俳句の心をここまで導いてくれた孤高の俳人
 飯田龍太が亡くなった。2月25日のこと。
 86歳である。
 62年に父の死去により引き継いだ「雲母」も92年に
 通巻900号で終刊し一切の俳句の活動を終えた。
 当時71歳だった。

   またもとのおのれにもどり夕焼中

 この句が「雲母」終刊によせた龍太の一句

 誰にも憧れや目標の俳人が居るだろう
 私にはいつも龍太がいた。
 龍太の言葉で「俳人は無名がいい」つまり作品だけでいいと
 いうこと。私はこの言葉を信じ新しい句会や投句にはその都度
 俳号を変えて八つの俳号を持つようになった。
 これには様々な理由もあるのだが・・・・
 「作品が一人歩きをすれば本物」これは登四郎先生の言葉。

 これからも両先師に恥ずかしくない俳句を詠み続けようと
 思う。

 (写真 昭和54~56年のころころのスクラップブック)
 
 

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