
泪眼をほそめて花の梟かな 飯田蛇笏
蛇笏といえば くろがねの秋の風鈴鳴りにけり が知られて
いるが私は掲句が一番いいと思っている。フクロウは冬の
季語になるが花の梟として季語が及ばないように表現して
いる。蛇笏の住んでいた長野県境川小黒坂は山麓の村で
梟は裏山の森には一年中姿や鳴き声を発していたはず。
この句のなまめくような叙情美は桜の季節でなければ
生まれてこない。吹き渡る風に些かの潤いと温かさが
「泪眼」という措辞を活かしているのだろうと思う。勿論
昼の梟なのだろう。
句作に行き詰まりを感じた時、この句を思い出すことにして
いる。
芥川龍之介が亡くなったときに
たましひのたとへば秋の螢かな
と詠んだ。掲句三句の共通点は「旬」をはずしていること。
春から見た冬、秋から見た夏、晩夏からみた初秋
大いに句作心への刺激となる。
実は直接季節を入れてしまうと俳句は難しく
なります。四季のある日本とは言え地域性もあり
体感としてそれぞれ違うので押し付けじゃない
表現が求められる訳ですよね。
そのへん掲句はさまざまな事を教えてくれます。
是非試してみてください
春から見た冬、秋から見た夏、晩夏からみた初秋
大いに句作心への刺激となる。
私も最近、「春の・・・」「秋の・・・」
として本来の季節を外した季語に惹かれていました。
違った趣が生まれますよね。
と言ってもまだ一句も作ったことがありません。
漠然と私の中にあったことを言葉にしていただいて大いに勉強になりました。
レベルが高い試みですね。
私にはまだまだかな。
さるお方から海は字が見難いというクレームも
有りまして。。ハイ!
両国の生まれのころころらしいバックが有りました。
縄さん一杯やりたいですねぇ
込んで来たことがあります。同室の者と捕獲
したものの、小さな隙間から逃げてしまった。
そういえば、手品で使う鳩は銀鳩といって
案外小さく隠せるとかいってた。
ところで、画面を変えましたね。
なにやら、化粧マワシめいていますね。