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私の尊敬する俳人の一人飯田龍太の言葉を少しづつご紹介したい。
(ブログの更新に行き詰まった時のため?ではなく・・)
*写生について
私(龍太)にとって写生とは、見つめて目を離さない事じゃないかと最近強く
感じている。見つめて、心の中に実物では感じない別途の実感が湧くまで目を
離さない。これが写生の手法のように思えてきた。例えば虚子の「遠山に日の
当たりたる枯野かな」この句は、季語から云うと冬だけれど、実景はどうも早春の
風景じゃないかと思う.冬の終わりの鮮やかな情景。目を細めて眺めてはいる
けれど対象から目をそらしてはいない。情感を湛えて至り得た境地を示している。
これに比べると「白牡丹といふといへども紅のほか」は、主観が強く、技術、
技巧が表に出てはいないか。
どうでしょうか?「実物では感じない別途の実感」
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大川の風知り尽くし都鳥
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来る11月9日は漱石の忌日、いままで一度も詠んだ事の無い季語を詠んでみようと
参考句を検索したが、どことなく漱石の文学からの類想が多い、とは言えそうしなけ
れば、離れすぎてしまう。忌日俳句の難しいところかもしれない。
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ふるさとは風の中なる寒椿 入船亭扇橋
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