今チャコちゃん先生は1950年代に注目している
昭和25年から34年だが
私達はこの時代の暮らしぶりをよく観察しておくと
来る不況をかーるく過せるかもしれないと思う
質素で清潔な日常だが
夢を持って生きている人たちが多かったようだ
日本の映画がこの時代をよく切り取っていると感心している
そういうわけで
映画・コスモスという日を月1回持った
1950年代の映画に限ってみていく
そして其処に映し出された庶民の暮らし
フアッション、社会現象、日常の言葉遣いなどなど
こういうことは本来親が子供に伝えていくべきことなのだろうが
日本復興の担い手たる男たちは
ついつい家庭をないがしろにして
仕事人間に変身し日本を強くしていったのだ
でもこの1950年代はまだまだ男たちも家族の行く末を考えていた
家族があって会社、社会、国、世界という順序だった
そのうち家庭が外れ、会社もはずれ残ったのがなんと自分だけ
自分が中心で一番大切
それは結構なことでもあるのだが
ヘタをすると「我」だけの人間になっていく
「自分を大切にしましょう」
ということはとても間違い易いフレーズでもある
自分勝手、自己中心、自分だけよければ
という方向に行ってしまう怖さがある
この怖さが今の社会を招いているのだから
リセットしなければならない
せっかく人間に生まれてきたのだ
人としての一生を過したい
ある人が
「ひ」ふみよいつむななやここの「と」
1から10までの数の修行があって
其れが終わって初めて「ひと」になり
その修行の間が「人間」だ
と教えてくれたがなーるほどと思った
人間から「人」に成長するには
自分で考え、自分で選択し、自分の責任で行動をすることなのだろうかと思う
1950年代の映画では登場人物のほとんどが
そのように生きようと懸命だ
とくに1950年代の始めは
まだ日本の教育もGHQの監修が薄いので
本来の日本人が生き生きしていて気持ちがいい
ここのところ日々チョロチョロ値段が上がってきた
いよいよ地産地消の生活になってくる
日本を元気にするには
日本で生産されたものを食べたり使ったりすることが一番
タナカが梅干やらっきょをつけたりしている
1950年代はどこの家も手前味噌だった
7月は映画・コスモスは16日の土曜日
昭和25年から34年だが
私達はこの時代の暮らしぶりをよく観察しておくと
来る不況をかーるく過せるかもしれないと思う
質素で清潔な日常だが
夢を持って生きている人たちが多かったようだ
日本の映画がこの時代をよく切り取っていると感心している
そういうわけで
映画・コスモスという日を月1回持った
1950年代の映画に限ってみていく
そして其処に映し出された庶民の暮らし
フアッション、社会現象、日常の言葉遣いなどなど
こういうことは本来親が子供に伝えていくべきことなのだろうが
日本復興の担い手たる男たちは
ついつい家庭をないがしろにして
仕事人間に変身し日本を強くしていったのだ
でもこの1950年代はまだまだ男たちも家族の行く末を考えていた
家族があって会社、社会、国、世界という順序だった
そのうち家庭が外れ、会社もはずれ残ったのがなんと自分だけ
自分が中心で一番大切
それは結構なことでもあるのだが
ヘタをすると「我」だけの人間になっていく
「自分を大切にしましょう」
ということはとても間違い易いフレーズでもある
自分勝手、自己中心、自分だけよければ
という方向に行ってしまう怖さがある
この怖さが今の社会を招いているのだから
リセットしなければならない
せっかく人間に生まれてきたのだ
人としての一生を過したい
ある人が
「ひ」ふみよいつむななやここの「と」
1から10までの数の修行があって
其れが終わって初めて「ひと」になり
その修行の間が「人間」だ
と教えてくれたがなーるほどと思った
人間から「人」に成長するには
自分で考え、自分で選択し、自分の責任で行動をすることなのだろうかと思う
1950年代の映画では登場人物のほとんどが
そのように生きようと懸命だ
とくに1950年代の始めは
まだ日本の教育もGHQの監修が薄いので
本来の日本人が生き生きしていて気持ちがいい
ここのところ日々チョロチョロ値段が上がってきた
いよいよ地産地消の生活になってくる
日本を元気にするには
日本で生産されたものを食べたり使ったりすることが一番
タナカが梅干やらっきょをつけたりしている
1950年代はどこの家も手前味噌だった
7月は映画・コスモスは16日の土曜日