チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

國家は錦織

2011年06月11日 10時42分32秒 | 日記
聖徳太子の言葉の中に
「政治は経糸 緯糸は臣民」というくだりが或る
また古文の「ほつまつたゑ」機の法にも同じようなことが書かれている
チャコちゃん先生このこところが凄く好き

聖徳太子はいなかったとかとかとか歴史学者が研究発表をしているが
こういう言葉が残っている方に意味があると思う

織物を知っている人は
経糸を作るのに技術を要することを理解している
織りは誰でも出来ると思っている向きもあるが
とんでもない経糸を整経するのは長年の経験が必要で
緯糸は誰でも通せる

経糸はぴんと張りすぎてもいい織物は出来ない
或る程度のゆるみが必要
昔計算尺というのがあった
計算機は絶対に結果を間違わないしきちんとし分けてしまう
しかし計算尺は少々の誤差が許される

先日NHKのインタヴュー番組で樋口可南子さんが
中学生のとき計算尺の大会で優勝したとおっしゃっていて
「どうして計算尺がお好きだったんですか」
「誤差が許されるそこが面白かったんです」
と話していた

チャコちゃん先生学生のころボーイフレンドがラリーに凝っていて
助手席で計算尺を操っていたことがある
誤差をどう解釈するかで勝敗が決まったりして面白かった

樋口さんもきもの大好き人間だが
お話を聞いていてこの「誤差」「ゆるみ」のようなこのに惹かれる人が
きものに興味を持つのかもしれないと思ったりした

さて
経糸にゆるみの或る織りは結城紬であり越後上布だ
ともにユネスコ無形文化遺産に登録された
これも何かの符牒か?

ゆるみがあるということは
糸をぴーーーんと張ったままではなく
織るときはピンと糸を張らすが、人が休んでいるときは糸も休むという構図

つまり緯糸の入るときは経糸がきちんと方向性を示し
緯糸が休んで居るときは
経糸は緯糸がいつ入ってきてもいいように英気を養っているのだ

経糸は色を余り使わず単色が基本
横糸はありとあらゆる色を入れたりまた素材を変えてみたりと自由気まま
そして美しい織物が織りあがる
コレは経糸が常に本気で居るからだ
自分の道をはっきり知っているからだ

今の日本はこのままだと織物は織りあがらない
あまりにも経糸が弱すぎるし勝って気まましかもよれている

経糸だけでも緯糸だけでも織物は完成しない ああーー
コメント
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