「人が成長するとは、どういうこと思いますか?
1つは、今までにできなかった新しいことができるようになること。
実はもう1つあるのですが、それは何だと思いますか?」
先日、開智未来高校の関根均・前校長先生とお話をする機会がありました。
その時は、教育の話題を含めていろんな話をさせていただいたのですが、その中で一番印象に残っている言葉が、冒頭の言葉です。
「新しくできるようになること=成長」だと思っていた私は、恥ずかしながらもう1つが分かりませんでした。しばらくたったあとに、関根先生が答えを教えてくださいました。
「何かを捨てること、それが人の成長です」
関根先生は、穏やかに私達にそうお話をくださいました。
その場には他の塾の先生方もいらっしゃたのですが、皆さん納得をされたようでした。
人の成長と聞くと、やはり「何かができるようになること」だけだと思ってしまします。
でも、よく考えると、できるようになることと同時に、捨てていくものも必要なようにも感じます。
それは、単純にキャパシティーの問題かもしれません。
新しいことができるようになるためには、その分、古いものを捨てなくては新しいものが入る余地がないようにも感じます。
断捨離という言葉のとおり、新しいものを入れていくためのスペースが必要、そういうふうに捉えることもできると思います。
そしてそれとは別に、「新しいことができるようになると視野が広がり、今まで必要としていたものが不要になる」この言葉にはそんな意味も込められているように思います。
例えば、志望校が変われば勉強法なども変えていく必要があります。
そんな時に、前にやっていた勉強が、残念ながら不要となる場合もあると思います。
志望校が変わり、新しく歩みだそうとしているときに、今までにやっていたことに固執してしまうと、新しい志望校合格のために本当に必要なことができなくなってしまいます。
もったいないけれど、捨てていかなくてはならないもの、それが私たちの周りにはあるのかもしれません。
成長をするとは、言い方を変えると視点が変化することだと思います。
いわば、自分の人生のステージが変わってくる、そんな言い方もできると思います。
それによって今までとは見えてくる風景が変わることがあります。
風景が変われば、必要となるものも違ってきて当然だと思います。
そんな時に、今までのものが足かせになって次のステージに飛び込めないようでは、なんだかもったいないような気もします。
何かを捨てて、次のところに身軽に飛び込んでいくこと、そんな決断も必要なのかもしれません。
翻って、その人の成長を応援するとは、その人に捨てられる覚悟を持つこと、それを意味することでもあると思います。
今は「私」を必要としてくれている。
でも、その人が成長し、いつか「私」を必要としなくなるかもしれない。
それでも、その成長を心から嬉しく思い、次のステージへと送ってあげる。
成長を見守るとは、そんなことなのかなとも思いました。
私の仕事は生徒の成長を見守ることです。
生徒はいつか自分を越えて、自分を必要としなくなるかもしれません。
でも、それを嬉しいことだと思い、自分から旅立つことを心から応援できることが、私達大人にも必要なんだろうと思います。
いま目の前にいる生徒さんは、なんらかの形で私達を必要としてくれています。だからこそ、目の前にいてくれるのだと思います。
でも、生徒さんたちは伸び盛りです。
私も悪い意味で「不要です」といわれないように、生徒さんたちと共に成長していかないといけない、そんなふうにも思いました。