6月に入り段階的に当塾も平常通りの授業へと戻してきました。
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4月8日から始まった緊急事態宣言により休校して約2ヶ月、久しぶりに皆さんとお会いできるのが、楽しみでワクワクする、そんな感じてした。
オンラインで顔を合わせてはいましたが、やはり実際に顔を合わせて授業をするとは、何かまた別なものだと感じています。
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今回のコロナ禍でオンライン授業は注目を集めました。
もしかしたら、もう対面で授業をする必要はないのでは?そんな話も聞きました。
確かにそんな気もします。
実際にオンラインで授業をすすめる分には、ZOOMにしてもGoogleMEETにしても、授業進行という観点からすれば、全く支障がない、そんなレベルまでオンラインの技術は高まってきているとも言えます。
でも、オンライン授業の最中から、画面越しでは伝わらない何かがある、そんな気がしていたのも事実でした。
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何が伝わり何が伝わらないのか。
言葉にするのはかなり難しいのですが、授業の中身とか、○か✕かというのは伝わるとは思います。
でも、勉強を教える、学習を指導するというのは、それだけではありません。
『問題を解いているときの機微な変化』
画面越しだと、これを見逃しやすいように思います。
『このへんまでは分かっているなあ』
『ここらへんから支えたのかな』
『頭をフル回転させてるなあ』
『これ以上は追加のヒントを入れないと難しいかなあ』
そういったことは、時間と場所を共有するからこそ分かるもので、なかなか画面越しだと分かりにくいとも感じました。
また、いわゆるやる気を鼓舞するというのも、場所と時間を共有するリアリティがあるからこそ伝わるものだとも思います。
励ましたり叱ったり、褒めたり注意したり…
そういったことは言葉だけではなく、話す人の熱量があるからこそ伝わるものだと思います。
場所を共有していないと、その“熱”が伝わっていかない、そんな気もしました。
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オンライン授業はこれから盛んになっていくと思います。またそのテクノロジーもさらに進化していくと思います。
でもやはり、学習指導の面から言えば時間も場所も共有していくこと、これは大切なような気がします。それだからこそ伝わるものもあるように感じます。
とは言っても、昔から通信教育などだけで成果を上げている人がいるのもまた事実です。
コロナの第二波、第三波が心配もされていますが、いつかまたオンラインだけで授業を進めなくてはならないかもしれません。
そんなときに備えて、私もオンラインだけで伝えられるものの幅を広げておくこと、それが課題でもあるのかなと思います。