NHKスペシャル「ワーキングプアⅡ~努力すれば抜け出せますか~」を見た。
7月の放送を見て強い憤りを感じていたが、改めてこの社会の抱える矛盾を思い知らされた。
「構造改革」だの「郵政民営化」だのと吼えまくった獅子頭氏が去った今、彼や彼の取り巻きが残したものは一体何だったのだろう? そして、彼の言葉に踊らされた我々に責任はないのだろうか? あの選挙の余韻を享受する坊ちゃん総理は、彼の負の遺産に、それ以前の悪弊の復活をもくろんでいるようだ。
学者氏の言うように、単に生活保護を手厚くするだけでは解決にならない事は理解できる。しかし、この問題を「自己責任」の一言で片付けてしまう世の中で良いはずがない。その代償は今現在ワーキングプアとなっている人たちだけでなく、我々の次の世代に残されていくから…
「景気回復」という言葉が幻想に過ぎないことに、多くの人たちが気付き始めている。この国の大多数の人々が努力した結果は、六本木にある虚構の丘を中心とした社会のごく一部に集約され、消費されていく。あの逮捕者たちは、そうした矛盾を一時ごまかすための手段に過ぎなかったのかもしれない。いや、元はといえばバブル崩壊の付けを、その恩恵を、全くではないがさほど受けなかった多くの人たちに払わせたことなのだろう。
でも、僕もそうした世の中に救われている側なのだと、時々思う。だから、番組を見ていてふと、罪悪感に駆られた。貧しいのは、ワーキングプアの人たちだけでなく、それを放置している我々の社会も、である。
「人の不幸は蜜の味」と言うけれど、みんなが幸せになることは、いけないこと? 無理なこと?
誰かが我慢比べを止めようと言わなければ、沈んでいくだけじゃないのか…
何だか頭の中が整理できないまま書いてしまった。
でも、今僕に出来ることは何だろう…
7月の放送を見て強い憤りを感じていたが、改めてこの社会の抱える矛盾を思い知らされた。
「構造改革」だの「郵政民営化」だのと吼えまくった獅子頭氏が去った今、彼や彼の取り巻きが残したものは一体何だったのだろう? そして、彼の言葉に踊らされた我々に責任はないのだろうか? あの選挙の余韻を享受する坊ちゃん総理は、彼の負の遺産に、それ以前の悪弊の復活をもくろんでいるようだ。
学者氏の言うように、単に生活保護を手厚くするだけでは解決にならない事は理解できる。しかし、この問題を「自己責任」の一言で片付けてしまう世の中で良いはずがない。その代償は今現在ワーキングプアとなっている人たちだけでなく、我々の次の世代に残されていくから…
「景気回復」という言葉が幻想に過ぎないことに、多くの人たちが気付き始めている。この国の大多数の人々が努力した結果は、六本木にある虚構の丘を中心とした社会のごく一部に集約され、消費されていく。あの逮捕者たちは、そうした矛盾を一時ごまかすための手段に過ぎなかったのかもしれない。いや、元はといえばバブル崩壊の付けを、その恩恵を、全くではないがさほど受けなかった多くの人たちに払わせたことなのだろう。
でも、僕もそうした世の中に救われている側なのだと、時々思う。だから、番組を見ていてふと、罪悪感に駆られた。貧しいのは、ワーキングプアの人たちだけでなく、それを放置している我々の社会も、である。
「人の不幸は蜜の味」と言うけれど、みんなが幸せになることは、いけないこと? 無理なこと?
誰かが我慢比べを止めようと言わなければ、沈んでいくだけじゃないのか…
何だか頭の中が整理できないまま書いてしまった。
でも、今僕に出来ることは何だろう…