あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

手紙

2008-02-12 23:27:28 | つれづれ
昨晩、久しぶりに手紙を書いた。
宛先は、昨年秋の旅行でお世話になった民宿だ。
帰り際、お米をいただいてそれっきりになってしまっていた。夕食のときにご家族と話をしていた中で、近所のチョコレート屋さんの話になり、いつかプレゼントすると約束していたのを思い出したからだ。いや、ずっと心に引っかかっていたのだが、あれやこれやと言い訳をしながら先延ばしにしてしまった。

明後日はバレンタインデーというのを口実にした訳ではないが、これを逃すとタイミングが悪いと思い、手紙をしたためた。ついつい、用件だけを綴ってしまったが、きっと気持ちは届くと思う。
こどもたちの笑顔を直接見ることはできないが、チョコを頬張る彼らの写真が宿のブログに載ったら嬉しいなあと、楽しみにしている。

で、思い出した。そう、バレンタインデーだ。
まあ、今年も縁がないことは決定しているのだが、だからといって斜に構えるのも何となくかっこ悪く感じるようになった。未だに「義理チョコなんて」などと思っていて、それは変わらないとは思うが、まあ、もらえるのならありがたくいただこうという気持ちを持とう…って、取らぬ狸の何とかだなあ。

まあ、僕にとっては寒い一日だが、他の人たちが幸せならそれでいい。
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さらさら

2008-02-12 07:22:47 | つれづれ
時間の長さは、どこでも、誰にでも同じだ。とは言え、感覚的な「時間」の長さはそれぞれに異なる。一人のひとの中でも、エピソードによって長さが異なる。
窓の外に流れる線路を見ながら、ふと考えてみた。多分それは、そのエピソードと心との摩擦の度合いによって決まるのだと思う。摩擦が大きく、いつまでたっても記憶の片隅に辿り着かないエピソードに対しては、標準時間に対して長く、逆に、何の抵抗もなくそこまで流れて行ってしまうエピソードは短く感じる…
などと考えていると、通勤時間が短くなるような気がする。

だとしたら、あのエピソードに対する時間の長さはどれくらいだろうか…
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