あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

青空の額縁

2011-04-21 18:29:30 | 見上げる
昼前後には青空があった。朝は傘を差して散歩に出かけたということを忘れてしまうような、青空があった。

地下から外に出る際、額縁に飾られたような青空があった。こんなところに見とれてしまう青空があるなんて…って、微笑んだ。

天気予報が少しずれて、週末は晴れたらと思う。雨の日も時に素敵だが、今週末は青空が見たい。

被写体

2011-04-21 08:15:00 | 出会う
そう、昨日は病院から帰ってすぐに出かけようと思ったが、来週分のアイロン掛けをしたりしてたらあっという間に夕方になっていた。夜に予定があり、その前に2つほどやりたいことがあったが、時間切れで1つ諦めた。

渋谷のPARCO FACTORYで開催されている川島小鳥さんの写真展『未来ちゃん』を観に行った。先週末に写真集を買い、楽しませてもらったが、大延ばしのパネルで観たいと思っていた。

川島さんの写真展は、先日両国で観て以来だが、構成から引き込まれる。写真が、そして被写体が持つ力をうまく抑えている。昨年表参道ヒルズで観た梅佳代さんの写真展もそうだったが、観る側との距離の近さが魅力だ。

写真集に収められなかったカットが展示されているなど、心に引っかかるところがいくつもあり、事実、引っかかる度に足を止め、パネルを見つめ、未来ちゃんの息吹きを感じようとした。

やっぱりここでも子どもに励まされた。だが、それでいいのだと思えた。そして、子どもたちみんなが未来ちゃんであり、表情豊かに生きている。僕らはそんな子どもたちにどのように接しているだろうか。

ただ単に笑顔を返すだけでもいいが、それ以上にできること…いや、それはしたいことなのだろうか、それが何なのかはまだ漠然としか見えない。

夢を持てる余地

2011-04-21 07:53:20 | 前に進む
昨日、銀行から病院に戻る際、公園を通り抜けた。それが近道かどうかはわからなかったが、無機質な道を戻るよりはいいと思った。

公園にはいると、近所の幼稚園か保育園の児童たちが、保育士さん(というと保育園か…)に見守られながら小さな植え込みの周りを駆けっこしていた。

一人ひとりの表情が面白く、前方不注意にならない範囲でその様子に視線を向けた。すると、一人の女の子が手を振ってきた。手を振り返すとまた手を振る。振り返るとまた…と、そのやさしさは大切に育てられた証のように思える。

病院に戻ると、小さな子どもたちが廊下を歩き回っている。歩き出したばかりの子だろうか、慎重にバランスを取りながら自分の好奇心の先を目指して歩く姿は、美しく、そして微笑ましい。

その後、渋谷に行き、そして帰る際、交差点でギャル風の女子高生や男子が手書きの募金箱を持ち震災の義援金を募っていた。遠巻きに様子を見ながら一旦は立ち去ったものの、その声の力強さに戻って僅かながら協力した。

若者や子どもたちの将来を思うと責任を感じるが、その責任を取ることは難しい。ただ、彼らが夢を持てる余地を広げておくことはできるだろうか。そんなことを思いながら、自分に子どもがいないことを少し寂しく思う。