旅を共にした『セゾン文化は何を夢みた』を、旅から戻り読み終えた。
もう20数年前になるが、高校への通学で池袋西武の入口前を毎日朝晩通り過ぎていた。それだけで「セゾン文化」の空気を吸っていたなどというのはおこがましいが、それでも、高校時代に西武グループについて鉄道系と流通系を比較研究したり、当時オープンした有楽町西武のポスターを無理を言って譲っていただいたりした。その有楽町西武も今年の末には閉店するという。この本にも書いてあるが、既にセゾングループは過去のものとなっているとはいえ、一抹の寂しさを感じる。
パルコの意味のわからないコマーシャルになんとなく心惹かれたことや、ウッディ・アレンの「おいしい生活」など糸井重里さんのコピーも懐かしい。セゾングループが携わったもの全てに触れたわけではないものの、あの時代の文化を引っ張っていったという雰囲気は、その時代を生きた人々にとって好き嫌いこそあれ共有されていて、この本では当事者が当時のことを淡々と語っているとはいえ、それが力強く伝わってくる。読んでいて、時に涙が出ることもあったが、なぜだったのだろう。
現代アートをめぐる旅の途中でこの本を読み、横尾忠則さんや日比野克彦さんとの関係に触れているところと前後して彼らの作品に触れたり、また脚注にクリスチャン・ボルタンスキーの名を見つけたりしながら、そこに潮風とともにセゾンの空気をなんとなく感じていた。「セゾン文化がなかったら」という問うつもりはないし、現代アートが市民権を獲得した今日、その役割の大きさを実感する。
今はもうグループとしては存在していないが、それでもなんとなく繋がっている。西武やLibroに通うのは、その幻影を追いかけているのかもしれないが、今も「文化を担う企業」という部分は残っていると信じているからだろう。一企業グループの域をはるかに超えるその活躍は、堤清二/辻井喬氏らが語るように既に役割を終えたとは言え、西友のプライベートブランドを出発点としながらも独自の位置を確立した無印商品だけでなく、どこかしらに輝きを残している。そして、それを信じながらこれからも通い続けるだろう。