熊本熊的日常

日常生活についての雑記

Good

2007年12月01日 | Weblog
地下鉄の駅に、各路線の運行状況を示すパネルがある。通常、殆どの路線に”Good Service”という表示が出ていて、たまに”Delay”などとなっている。この”Good Service”というのは、単に「運行している」という程度の意味であり、決められたダイヤ通りに運行されているという意味ではない、と思う。”Delay”というのは、ダイヤに対して遅延しているという意味ではなく、「運行停止ではないが、殆ど動いていない」という意味であろう。そもそも、時刻表などというものが、駅構内のどこにも表示されておらず、”Delay”と言われても何に対して「遅れている」のかわからないようになっている。

先日、人事考課の電話会議でのこと。ロンドンでの生活はどうか、と尋ねられたので、”It’s not too bad and not too good.”と答えたら、”Ah, that’s “fine”, you mean.”と言われた。目から鱗が落ちる思いだった。”good”だの”fine”だのというのは、積極的に物事を肯定するということではなく、現状をあるがままに受け容れることが可能、という程度の意味でしかないようだ。

日常会話のなかで、”brilliant”だの”marvelous”だのといった言葉をしばしば耳にする。例えば、買い物で、買ったものを贈り物用にラッピングしてくれるよう頼めば、当然、店員はそれを拒んだりしない。すると客は”oh, it’s brilliant”などと言うのである。別に頼むほうだって、当然やってもらえるものと期待して尋ねているわけだから、”brilliant”もへったくれもないだろう。郵便局で、クリスマスの贈り物を送る時、相手先にどれくらいの日数で届くのかと尋ねて、3日ほどで届くという答えが返ってくると、”That’s wonderful.” ささやかなことに喜びを感じる豊かな感性がそこにあるわけでは、たぶん、ない。期待していた答えを得て「そりゃそうだよねぇ」という程度の意味だろう。

しかし、こうした語彙の運用が、日頃の生活を円滑に進行させる潤滑油のような役割を担っていることも確かだと思う。”Good”と言われて喜ぶのは間抜けだが、”Good”とすら言われないような立ち居振る舞いしかできていないとしたら、それは危険なことである、とも言える。