今年も終わる。2006年4月1日から日記をつけている。去年の年末の頁を開くと、そこには居心地の悪そうな自分の姿があった。いつの日からか、長い休みというものが苦痛になっていた。休むことが苦痛なのでも、仕事をしないことが苦痛なのでもなく、家に居るのが苦痛だった。今年の年末年始は元旦以外出勤で、休みというものがあまりないのだが、それでも久しぶりに平穏な心持ちで年の暮れと始めを迎えている。東山魁夷の作品「年暮る」の世界が心の中に広がっている。
生きていれば、男時女時というようなものがあるのが当然だろう。様々な経験を積んで人は人になっていく。そう言われれば、その通りなのだが、災厄のなかにあれば、己の無力を反省する以前に己の不遇を恨むという醜態を曝すことが少なくない。自分の置かれている状況が不本意であるならば、本意の状況に変える行動を起こさなければならない。自分で考え、行動をすれば、どのような結果が生じたとしても、少なくとも自分の考えや行動に対する評価を自分で下すことができる。そして、改めるべきは改め、進むべきは進むという進歩が自分のなかに生まれる。その繰り返しを通じて、知恵を得、生きることの愉しさのようなものを感じることができるのだと思う。
2007年は、まだ記憶の中に鮮明であるせいか、これまでになく学ぶことの多い年だったように思う。来年の今日があるとすれば、今よりも多少なりとも知恵をつけてその日を迎えることができるように、明日からの生活を重ねていきたい。
生きていれば、男時女時というようなものがあるのが当然だろう。様々な経験を積んで人は人になっていく。そう言われれば、その通りなのだが、災厄のなかにあれば、己の無力を反省する以前に己の不遇を恨むという醜態を曝すことが少なくない。自分の置かれている状況が不本意であるならば、本意の状況に変える行動を起こさなければならない。自分で考え、行動をすれば、どのような結果が生じたとしても、少なくとも自分の考えや行動に対する評価を自分で下すことができる。そして、改めるべきは改め、進むべきは進むという進歩が自分のなかに生まれる。その繰り返しを通じて、知恵を得、生きることの愉しさのようなものを感じることができるのだと思う。
2007年は、まだ記憶の中に鮮明であるせいか、これまでになく学ぶことの多い年だったように思う。来年の今日があるとすれば、今よりも多少なりとも知恵をつけてその日を迎えることができるように、明日からの生活を重ねていきたい。