「リトル・ミス・サンシャイン」が好きなので、その関連としてこの作品も観た。このところ「ディア・ドクター」、「扉をたたく人」、「湖のほとりで」といった完成度の高い作品が続いた所為かもしれないが、物足りなさは否めなかった。登場人物たちのキャラクターの掘り下げ、それに絡んでひとつひとつのサイドストーリーの作り込みが不充分であるように思われるのである。
生活に困窮した主人公が、あまり人のやりたがらない仕事に就くというのは「おくりびと」にも通じる発想だと思う。最初は嫌々ながらも、続けていくうちにそこに意義や喜びを見いだすというのも似たような流れではある。ただ、始めるきっかけが、片や新聞に掲載されていた求人記事への誤解であるのに対し、片や他人からの「金になる」という勧めというのが大きな違いだ。誤解から始まって、なんとなく辞めづらい雰囲気になって、ずるずると続けていくうちに、そこに自分の収まりどころを見つける、という流れが成り立つのは日本ならではなのだろうか。金のため、という割り切りで始めて、続けていくうちに、そこに自分の存在意義を見いだす、という流れを、わかり易いと感じながらも素直に了解できないのは私だけなのだろうか。
死というのは、誰もが必ず経験することではあるが、それに対する関わりかたというのは文化によって違いがあるように思う。端的には、葬送方法、墓地の有無や形式、集落での墓地の位置、といったものの在りように、そこで暮らす人々にとっての死の位置づけが垣間見えるように思う。ところで、人が生まれるのも死ぬのもそれぞれの事情がある。ましてや、自殺を罪とする倫理観のある社会で、敢えて自殺を選ぶ人には常人の理解を超越した事情があるように思うのだが、どうなのだろう。この作品は自殺の場面で始まる。主人公たちの母親も自殺している。自殺現場の清掃という場面もある。親が自殺したことの影のようなものを引き摺っていることはわかるのだが、それがそれだけで終わってしまっているように見える。物語のなかに自殺を散りばめるのなら、もう少しそこから物語を深めることができるように思うのだが、話の展開のテンポのほうが重視されているようで、隔靴掻痒の感を覚えてしまう。
出演者たちの役作りにも不満がないわけではないが、文句ばかり並べるのもの書いている私自身の気分が良くないので、ここでは書かない。
映画がビジネスであり、できるだけ多額の興行収入を得ることが第一の目的なら、議論の種となるようなことは避け、万人受けを狙った皮相な作りにするのが合理的な映画作りということかもしれない。また、興行上の成功を予感させなければ制作費の確保ができないという現実もあるだろう。タイトルの「sunshine」は、本作の製作チームが以前に手がけて成功した「Little Miss Sunshine」となにかしらの共通点があることを期待させる効果を狙っているのだろう。「リトル・ミス・サンシャイン」が自分の好きな作品のひとつであるだけに、本作に対する落胆もそれだけ大きくなってしまったかもしれない。
生活に困窮した主人公が、あまり人のやりたがらない仕事に就くというのは「おくりびと」にも通じる発想だと思う。最初は嫌々ながらも、続けていくうちにそこに意義や喜びを見いだすというのも似たような流れではある。ただ、始めるきっかけが、片や新聞に掲載されていた求人記事への誤解であるのに対し、片や他人からの「金になる」という勧めというのが大きな違いだ。誤解から始まって、なんとなく辞めづらい雰囲気になって、ずるずると続けていくうちに、そこに自分の収まりどころを見つける、という流れが成り立つのは日本ならではなのだろうか。金のため、という割り切りで始めて、続けていくうちに、そこに自分の存在意義を見いだす、という流れを、わかり易いと感じながらも素直に了解できないのは私だけなのだろうか。
死というのは、誰もが必ず経験することではあるが、それに対する関わりかたというのは文化によって違いがあるように思う。端的には、葬送方法、墓地の有無や形式、集落での墓地の位置、といったものの在りように、そこで暮らす人々にとっての死の位置づけが垣間見えるように思う。ところで、人が生まれるのも死ぬのもそれぞれの事情がある。ましてや、自殺を罪とする倫理観のある社会で、敢えて自殺を選ぶ人には常人の理解を超越した事情があるように思うのだが、どうなのだろう。この作品は自殺の場面で始まる。主人公たちの母親も自殺している。自殺現場の清掃という場面もある。親が自殺したことの影のようなものを引き摺っていることはわかるのだが、それがそれだけで終わってしまっているように見える。物語のなかに自殺を散りばめるのなら、もう少しそこから物語を深めることができるように思うのだが、話の展開のテンポのほうが重視されているようで、隔靴掻痒の感を覚えてしまう。
出演者たちの役作りにも不満がないわけではないが、文句ばかり並べるのもの書いている私自身の気分が良くないので、ここでは書かない。
映画がビジネスであり、できるだけ多額の興行収入を得ることが第一の目的なら、議論の種となるようなことは避け、万人受けを狙った皮相な作りにするのが合理的な映画作りということかもしれない。また、興行上の成功を予感させなければ制作費の確保ができないという現実もあるだろう。タイトルの「sunshine」は、本作の製作チームが以前に手がけて成功した「Little Miss Sunshine」となにかしらの共通点があることを期待させる効果を狙っているのだろう。「リトル・ミス・サンシャイン」が自分の好きな作品のひとつであるだけに、本作に対する落胆もそれだけ大きくなってしまったかもしれない。