熊本熊的日常

日常生活についての雑記

久闊を叙する

2009年08月21日 | Weblog
何年か前までは、真夏であってもスーツを着ている生活だったのだが、もう何年もスーツとは縁が無い。世間一般にも服装の基準が緩くなり、街でネクタイをしている人の絶対数が減少しているように感じられる。それでも、多少改まった席に顔を出すときは、ジャケットくらいは羽織るのが礼儀というものだろう。

そんなわけで、今日は久しぶりにジャケットを羽織って出かけた。何年かぶりに接待というものに招かれたのである。正確に言えば、接待の席に便乗を許された、ということだ。

接待といっても長年の顔見知りの集いなので、ある程度の礼節はわきまえるものの気楽なものである。かつての同業で、私だけがその業から離れてしまい、皆さんから御心配頂いていた。諸々経て、ようやく諸般落ちついた頃だろうというわけで、形の上では便乗者なのだが、実態としては私の近況報告のようなものになった。

今日の面子の最初の出会いは1999年の台湾地震に遡る。もともと99年10月上旬に仕事で台湾の新竹を訪れる予定になっていた。それが9月21日に大地震があり、訪問予定先にも被害があり、どうしたものかということになったのだが、先方から復興作業で十分な対応はしかねるが被害状況を含めて現状を見て頂きたいとのお言葉を頂き、素直にお邪魔させて頂いたのである。その時の訪台メンバーが今日、こうして昼食の席を囲んでいる。

地震から10日ほど経過し、交通機関をはじめとするライフラインの復旧はほぼ完了し、訪問先企業の事業も再開へ向けて慌ただしく動いていたが、余震は続いており、滞在していたホテルのエレベーターも頻繁に使用制限がなされるというなかでの出張となった。そうした特殊な体験を共有した所為もあるのだろうが、この時の面子で、その後も仕事を共にする機会に恵まれ、こうして個人的にも親しくさせて頂いている。

あの時の訪台で見聞したことから多くを学んだのだが、それを事細かに書く事はしない。ひとつ言えることは、物事の大きな流れがあり、それが強く深いものであるならば、多少の障害が発生しても、その流れは障害を糧にますます強くなるということだ。ただし、そのためには流れを見抜く眼と、流れを支える力がなければならない。当時、自分はそれを観察者の眼で眺めていて、自分の人生に重ねるということにまでは思い至らなかった。あれから10年が経ち、今の自分は贔屓目に見ても満身創痍だが、こうして当時の見聞を思い起こせば、全く希望が無いというわけでもないと思えるようになる。

会話自体は他愛の無いものだったが、多くの事を想起させてくれる人間関係というのは貴重である。こうした縁に恵まれたことに感謝したい。