熊本熊的日常

日常生活についての雑記

親子の会話

2009年08月22日 | Weblog
先週、子供へのメールに「ポー川のひかり」のことを書いた。このブログに書いたこととほぼ同内容である。(8月11日付「ポー川のひかり」)すると返事が来た。本人の承諾は得ていないが、ここに引用しておく。

***以下引用***
「ポー川のひかり」面白そうですね。生きるという事は自分の欲を追求する事というお父さんの意見には賛成です。確かに何かをしたいという願望に従って行動を起こしますよね。世界を救いたいという発言に対し自分を救うだけという主人公の返答は確かにそうだろうと感じました。私は世界というのは割と主観的なものだと思います。自分が見ている景色や物事が世界そのものだと思うからです。この学生はそういった意味で言った訳ではなく色々な人々が暮らす国や地球といった世界という意味で言ったのでしょうが、それだとあまりに範囲が広すぎて自分が居るところの他は現物を知る事は出来ません。どこか遠くでおこった事を聞く事は出来てもそれは他人事でしかなく自分が感じている世界の外の話だと思います。
***以上引用***

これに対し、次のような返事を書いた。

***以下 私の返信***
世界は割と主観的、どころか主観そのものだと思います。

今、来週の衆議院選挙へ向けて日本は迷走状態にあるようですが、これなどは世の中が主観で成り立っている何よりの証左でしょう。平和な状態が長く続くと、個人の欲望や欲求は拡散し、誰もが望む世界というものを描くことが難しくなるものです。主観は人によって違うわけですから、誰もが解決を欲する深刻な事態が無ければ、各人各様の主観に従って、その望むところがばらばらになるのは当然です。だから、選挙のような国民の総意を問う状況が起ると、それぞれの選挙区という限られた地域のなかでさえ人々の間で課題となっていることが絞れないということになります。結果として、政治は単なるエンターテインメントの一形態ということになり、政治家はタレントの一種という状況になるわけです。政治が茶番になるのは、平和の必然的帰結とも言えるでしょう。

政治家というものが、一体どのような仕事をする人なのか知っていますか?私はさっぱり知りません。以前、新聞の政治面の片隅に毎日掲載されている「官邸動向」という首相のスケジュールを半年ほどの間、毎日スクラップしたことがあります。ある程度決まった場所で、ある程度決まった人たちと会っているということはよくわかりました。政治家というのは人と会う商売のようです。そして、そこで何を語り、何を決定し、どのような価値を生み出すのか、というところまではとうとうわからずに今日に至っています。

先週は、本も読まず、映画も観ませんでしたが、ブリヂストン美術館で…
(以下、省略)
***以上 私の返信***

今度の週末は子供と会うことになっている。