熊本熊的日常

日常生活についての雑記

Nude

2014年01月16日 | Weblog

小野田寛郎さんが亡くなった。直接面識があるわけではないが、私の世代なら誰でも知っているだろう。小野田さんがフィリピンのルバング島でフィリピン軍に投降したのは1974年3月10日のことだ。小野田さんは逃亡していたわけではなく、帝国陸軍の情報将校として、帝国陸軍消滅後も与えられた任務を継続していたのである。投降したときの様子を伝える報道写真では、背筋を伸ばして敬礼している。身につけている服はボロではるけれどきちんと繕われているようで、その姿はいかにも何事かの義務を遂行しているかのようだ。つまり、現役という印象なのである。時に小野田さんは51歳。見た目には健康そうだった。

戦争とか戦闘とか戦場というものは、それこそ相手のあることなので、一様ではないはずだ。戦争を描いた映画や文学作品やノンフィクションは数多くあるが、どれも結局は作り物になってしまって、本当のところは伝わってこない。「本当」というのは経験のなかで自分の認識や観念として定着するものなので、経験のない自分にはそもそも「本当」はわからないはずだ。しかし、そうした断片の集積から自分なりに想像するところによれば、大陸でも太平洋でも日本軍の兵站は機能せず、戦死の過半は戦病死や餓死だった、という印象を持っている。具体的には大岡昇平の『野火』に描かれているような世界のイメージが強い。

ところが、小野田さんが投降したときの様子は健康そうなのである。当時、私は小学生だったので、戦争云々より、背筋のピンと延びた小野田さんの姿が妙に強く印象に残っていた。たぶん、30年近くジャングルに潜伏して「任務」を遂行し続け、自分なりに総括をして潔く投降した人の姿に何か強いものを感じたのは日本人だけではなかったのだろう。イギリスのプログレッシブ・ロック・バンドであるCAMELは1981年に"NUDE"というコンセプト・アルバムを発表している。小野田さんが投降したことにインスパイアされて制作したものだそうだ。叙情的な音楽で、そう思って聴くせいか、南の島の風や空を想わせるものだ。自分は命懸けで何かをしたことはないけれど、そういう過酷な状況のなかにあっても、ひょっとしたら空の青さとか夜空の星に心癒される瞬間というものがあるのではないかと、思った。