或る噺家が「鹿政談」の枕のなかで、奈良に出かけると墨を買うという話をしていた。墨屋の店先に失敗作を並べて安く売っているというのである。書道に使う墨というのは安価なものではないので、私も奈良に出かけることがあったら是非にもそういう墨を手に入れてみようと思っていた。それで、今日は商店街で書道用品を扱う店を覗いて墨を買ってみた。
JR奈良駅近くの宿泊予定の宿に荷物を預かってもらい、興福寺・ならまち方面へ向かって歩く。通りに面して商店が軒を連ねており、ほどなく書道用品店を見つける。落語の枕の通り、店先にワゴンが出ており、そこに古墨と処分品が積まれていた。処分品のほうは、確かに所謂「不良品」のようだったが、古墨というのはそう単純なものではないらしい。「古墨(こぼく)」というのは適正な原材料で手抜き無く作られた良品のビンテージのことで、ワゴンに並べられて売られるようなものではないのだそうだ。ここに並んでいるのは倉庫の隅に眠っていた通常の製品という意味での「古墨」で、店に入荷してから40-50年ほど経過したものだという。そのなかで、店の人が「評判がいい」と言っていた「玄林堂監製」という刻印のある小さな墨を2つ買い求めた。さらに歩いて行くと数軒の書道用品店があったが、期待していたほど多くはなかった。
書道は子供の頃に教室に通っていたのと、高校時代の選択芸術で書道を履修した程度なのだが、今頃になって墨で字を書いてみたいと思うようになった。昨年、歌会始に応募するときに書道用具一式を買い揃えたのだが、応募の歌を書くのに使って以来まったく手付かずである。せっかく買い揃えたのも何かの縁なので、改めて手習いを始めてみたいと思っている。