昨日、東京都美術館で若冲展を観た後、せっかくなのでパンダを観に上野動物園に立ち寄った。なにが「せっかく」かというと、4月30日に聴いた落語教育委員会に遡って説明しなければならない。その会で喬太郎が「任侠流山動物園」を演ったのである。白鳥が作った新作なのだが、噺の中では上野動物園を仕切っているのはパン太郎親分ということになっている。人間の観客が広く共有しているであろうイメージに反して、その人間の観客の人気が権力の裏付けとなって動物たちの間で権勢を享受しているのがパンダである、ということなのだ。言われてみれば、なるほどと思う。改めて権力者のご尊顔を拝謁して、その権勢にあやかろうというセコイ了見で動物園を訪れた。パンダ舎の入り口には見物客の行列ができていて、それがゆっくりとパンダ舎のなかにむかって流れている。大きなガラスの壁を前にして観客が鈴なりになっている。たまたまこのときはお食事の時間で、飼育係が所定の場所に笹を置いて回っていた。準備が整うとパンダが登場する。ガラス越しの観客の姿などを気に留める様子もなく、悠々たる様子で笹を食べ始める。「任侠」の噺の印象がまだ強い所為もあるのだろうが、その姿に親分の貫禄を見る思いがした。