「舟徳」という落語がある。四万六千日の日の或る船宿を舞台にした噺だ。江戸の落語には隅田川の舟運が登場する噺がいくつかある。今は隅田川というとコンクリートの堤防で仕切られた大きなドブのようだが、昔はオツなものだったのだろう。人々に愛されていた風景であればこそ、噺に語られるのである。
娘と三井記念美術館で北大路魯山人展を観て、昼飯でもいただこうと日本橋交差点方面へ日本橋を渡ったところに遊覧船の受付のテントが出ていた。橋からテントのほうに降りていくと、10分後に出る遊覧船がある。昼飯は後回しにして乗ってみようかということになった。
船は定員12名の小さなもので、乗客は我々を含めて6名、船頭とガイドが各1名。日本橋の袂、野村證券本社ビル下を出て、日本橋川を下り、隅田川を上る。永代橋はかつての勤務先の近くなのでしょっちゅう目にしていたが、いつ見ても、どこから見ても美しい橋だと思う。隅田川はその昔は大川と呼ばれていたそうだが、こうして小さな船で川を行くとなるほど大きな川だと実感する。清洲橋も美しい姿だ。ちょうど橋の中央にスカイツリーが重なるのも面白い風景。清洲橋を過ぎると大きく西へ蛇行する。
両国橋を過ぎたところで船は隅田川を離れ神田川へと入る。隅田川から神田川へ上ったすぐのところに架かるのが柳橋。この界隈には料亭が並んでいたそうだが、今残るのは亀清樓だけだ。山口瞳の『行きつけの店』にこんな一節がある。
小泉信三先生は、隅田川の川開きの日に、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生の三人を柳橋亀清樓へ招んで落語を聞き、みんなで花火を楽しまれたという。そのとき、志ん生は大津絵を歌った。すると、小泉先生は、いつも涙を流されたそうだ。風の強い寒い日に、火消しの女房が出かけてゆく夫の身を案ずるという歌であって、その歌いだしは「冬の夜に風が吹く、…」である。まことに哀れ深い歌であるが、これはどうしても志ん生でなくてはいけない。(新潮文庫 72頁)
私も行きつけの店というものをいくつか持ち、家族や親しい友人といっしょに贔屓の芸人を呼んでオツな遊びをしてみたい。果たしていまからそんな身分になれるものかどうかわからないが、希望を述べるだけならタダでできる。目下の現実は、行きつけの店などと公言できるようなところはなく、呼びたいような芸人もいない。尤も、芸を語るに足る知性も感性も持ち合わせていない。きちんと生きてこなかったということだ。今更どうしょうもないが、ただ諦めて開き直るというのではなく、いけなかったと思ったらいけなくないようにするだけのことだ。行きつけの店を開拓しようとか、贔屓の芸人を見出そうと言っているのではない。「店」とか「芸人」に象徴されるような自分自身の関係性をきちんと構築しようということだ。何ができるわけでもないが、たとえ小さなことでもできることを重ねていく。それよりほかにどうしょうもない。
柳橋から浅草橋にかけては屋形船が多数係留してあるが、そこを過ぎるとコンクリートの壁のような岸が続く。昌平橋の北側を走る総武線の松住町架道橋は、毎日の通勤のときにも目にしているのだが、いつ見ても姿の良い橋だと思う。神田川橋梁とのコンビネーションも良い。丸ノ内線の神田川橋梁は、橋としてはどうということのないものなのだが、地下鉄が通るというところに値打がある。地下鉄がポッと地上に出たかと思うと橋を渡って川を越え、またトンネルに戻っていく、というのがなんとなく楽しい。その橋を船で潜るのがさらに楽しい。
船は神田川から日本橋川へと入る。川は一橋まで首都高5号線、その先も首都高環状線が蓋をしたような形になっている。江戸城の古い石垣があったり、川鵜が水に潜って魚を獲る風景が楽しめたりというようなことはあるものの、風景としては今ひとつだ。それでも面白かったという満足感を胸に日本橋に戻ってきた。