妻が職場の人たちとQueenのライブを聴きに武道館に出かけるというので、飯田橋まで一緒に行って、私はギンレイホールで映画を観てきた。本日上映されていたのは、『さざなみ(原題:45 Years)』という2015年公開のイギリス作品と『最高の花婿(原題:Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?)』という2014年公開のフランス作品。
このブログにも映画のことを盛んに書いた時期があったが、今はその頃に比べると映画に限らず映像作品を観ることが少なくなった。2007年9月以降、テレビの無い生活になっている所為は勿論あるだろうが、観たいと思うものがあまり無いのである。作り手側の我とこちら側の我との相性というか距離感がうまく合わないという気がする。作る方は商売なので、どうやって観客を魅了するかという工夫に走るのは仕方がないが、そういう技とか演技とかが鼻に付いて不愉快に感じるようになった。いつから、というはっきりとしたきっかけがあったわけではない。気がつけばそうなっていたのである。他人様の創意工夫を素直に感心できないというのも老化現象なのだろうか。
老化といえば、今日の『さざなみ』は老人の話だ。原題の"45 Years"というのは主人公夫婦の結婚45周年が映画の舞台となっているからだ。夫婦が暮らしているのはイギリスのどこかの田舎で、夫は工場労働者、妻は教師であったようだ。今はふたりとも年金暮らし。その土地の習慣として、結婚40周年で家族や友人知人を集めてパーティを催すのだが、夫の方が心臓を患い、5年ずれたらしい。そのパーティを間近にして、夫のもとにスイスの警察から手紙が届く。結婚前に付き合っていた彼女とスイスに登山にでかけ、そこで彼女が氷河の割れ目に滑落したのだが、その死体が発見されたというのである。結婚前に付き合っていた彼女がいて、山で遭難したということは現妻は知っている。しかし、夫がその彼女と結婚することを考えていたとか、彼女の写真を大量に保存していたとか、その彼女が妊娠していた、というようなことは知らされていなかった。スイスからの手紙が来てから、夫が問わず語りに話したり、深夜に屋根裏部屋に仕舞ってあった写真やスライドを見ているのを妻が発見したり、というようなことからわかってくるのである。昔の話とは言え、妻の心に「さざなみ」が立つ。
何十年一緒に暮らそうと、どのような形であれ、自分の世界に他者が入り込んでくれば愉快に思わないのは当然だろう。それを「人間関係の儚さ」などと称して、さも何か事件であるかのように考えるほうがどうかしている。我々の生に確かなものなどそもそも存在しないではないか。映像作品としては上品で、描写が細やかで、破綻なく仕上げられていると思う。しかし、「そんなこと言われてもねぇ、、、」と苦笑してしまうのだ。
この作品はベルリン映画祭で主演女優賞と主演男優賞を受賞したのだそうだ。映画関係者というのは余程幸せな毎日を送っているらしい。こんなことが「作品」として成り立つと考えるところに、なんというか、おめでたくていいなぁ、と思ってしまう。
『最高の花婿』のほうも長年連れ添った夫婦あるいは家族の話だが、『さざなみ』とは打って変わって素朴なコメディだ。『さざなみ』の夫婦には子供が無いのだが、こちらには4人の娘がいる。ひとつのフランス人家族を舞台にしているが、その娘たちの結婚相手が、ユダヤ人、アラブ人、中国人、アフリカ人という設定は、要するに社会全体がそういう感じになっているということだろう。2013年に制作され翌年に公開された作品なので、2015年1月7日に発生したシャルリー・エブド襲撃事件や同年11月13日に発生したパリの同時多発テロに反応して作られたものではない。しかし、こうした作品が作られる社会だからこそのテロ事件と見ることもできると思う。映画のほうはハッピーエンドだが、そういうストーリーになるということは現実がそうではないということでもある。