今年も興福寺の塔影能の時期を迎えた。昨年に続いて鑑賞させていただくことになり、その前後に休暇を取ってあちこち巡ることにした。まずは、奈良へ向かうのに少し迂回して伊勢神宮にお参りする。
伊勢神宮に参るのは2回目なのだが、前回が30年近くも前なので殆ど記憶にない。すでに社会人であったので、どこへどのようにして行ったとか、どこで食事をしたとか、具体的な記憶があってもよさそうなものなのだが、全く覚えていない。おそらく今以上に神信心に縁遠かった所為だろう。
なぜ伊勢神宮にお参りする気になったのかといえば、妻が行ってみたいと言ったのが最大の理由である。尤も、伏線としては一昨年に『神宮希林 わたしの神様』という映画を観たとか、式年遷宮で話題になった余韻があるとか、普段から神仏にかかわる展示を比較的頻繁に見て興味関心があるというような背景もある。
それで伊勢神宮だが、「内宮」と呼ばれる皇大神宮と「外宮」と呼ばれる豊受大神宮によって構成されていて、内宮の祭神は言わずと知れた天照大御神、外宮の祭神は豊受大御神だ。創建は内宮が垂仁天皇26年(紀元前4年)と日本では珍しい「紀元前」で、外宮でも雄略天皇22年(478)とたいへん古い。外宮と内宮の創建には500年近い開きがあるが、今となってはそんな差は感じられない。式年遷宮があるので、結局は同じ様子になってしまうというのが大きな要因だろうが、現在から見れば創建年の差などどうでもよいものなのかもしれない。
神宮の肝心なところは社ではなくて、その場そのものなのだろう。例えばそこにある石であったり、空気であったり、景色全体といったものがまるごと神そのものであって、社は象徴に過ぎない。そもそも神というものは人間ではないのだからその姿を具象化できるはずがないのである。後に他の宗教の影響などもあって神像が造られたりするようになるが、そこに人と同じような姿を写すのはそういうものしか想像できないから方便としてそうなっているのだろう。人は経験を超えて発想することはできないのである。そう考えると、方便であるはずの具象化に依存するのは、結局のところ自分という枠を出ることができないということでもある。嘘か真かわからないような物語を纏って奇怪なほどに飾り立てた具体物を後生大事にしている信心は、その拠って立つところが脆弱であることの証左でもある。なんでもない石ころ、その場の雰囲気空気、もっと言えば、なんでもない自分の日常を素朴に大事にする発想こそが本当の信心なのかもしれない。