熊本熊的日常

日常生活についての雑記

銀座考

2009年01月22日 | Weblog
PCの修理だの個人的な名刺の作成といった用があって、今週は何度か銀座の街を歩く機会があった。久しぶりに眺める銀座の街並はなんとなく薄っぺらに見えた。今、地方都市では商店街の衰退が問題になっているが、地価が日本で一番高い場所がこの程度では、地方の商店街がシャッター街になってしまうのも無理はないように思う。

目抜き通りと電通通りに挟まれた区画に、ブランドのビルが数多く並んでいる。どれも建築や美術系のメディアにも取り上げられることが多く、おそらく世界的に有名なビルばかりだと思う。建物だけ見れば、意匠についても技術的なことでも画期的な部分がいくらもあるのだろう。しかし、建物というのは、その中に人が暮らしたり働いたりするものであり、それが立地する土地との関係というものもある。その場所の文化におかまいなく「著名建築家が設計した有名ブランドのビルだぞ、どうだ参ったか」風に建てられたのでは、「ほぅ、これが」と感心する人も勿論大勢いるだろうが、「ばっかじゃねーの」としらけてしまう人も少なくないのではなかろうか。

世にある生き物は全てその命をつなぐことを目的に今を生きている。人は自我を持ち、それをそれぞれのやりかたで表現し、その集団は集団としての自我を持ち、やはりそれをそれぞれに表現し、世の中で認知されようと努力している。街並もそうした表現のひとつだろう。大衆社会の小市民記号を羅列しただけの街並には、文化もなければ思想もない。それが地価の最も高い、つまり商業地としての価値が最も高い地域の姿であるというのは、結局、この国はその程度でしかないということなのだろう。あるいは、心ある人はどこか別の場所でそれぞれに蠢いているのかもしれない。そんな蠢きに出会えたら、それは愉快なことである。今あるブランドも最初は個人の思いつきであったはずだ。それが才能と努力と運と縁に恵まれて現在の姿になっているのだろう。なにか新しいことを創り出す、世の中の既存の価値観に一石とはいわないまでも砂粒を投じてみる、そんなことができたら楽しそうだ。

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