ヤフーのニュースで昨日アントニオ・タブッキが亡くなったことを知る。彼の作品は何年か前に『インド夜想曲』を読んだだけなのだが、自分のなかにイタリア人とかイタリア文学といったものの印象がまとまっていないので「タブッキ」というその名前が妙に印象に残っていた。この本を読むきっかけになったのは、ロンドンで暮らしていた頃、休暇で一時帰国した際にホテルのロビーでたまたま手にした日経新聞の文化面に須賀敦子のことが書いてあり、それに興味を覚えてロンドンに戻ってから河出文庫版の須賀敦子全集を全巻取り寄せて読み、そのなかでタブッキのことが書かれていたからだ。その第4巻に「本に読まれて」という章がある。この章には須賀が書いた書評が集められている。そのなかに「まるでゲームのようなはなし ヴェッキアーノにタブッキを訪ねて」と「気になる作家アントニオ・タブッキ 自伝的データにまつわるタブッキのトリック」という文章がある。全集のなかには他にもあるだろうが、とりあえずこの二つの文章が直ぐに見つかった。前者は白水社の「出版ダイジェスト」1991年9月11日号に掲載されたもので、後者は「早稲田文学」の1993年12月号に掲載されたものだ。もともとは別の出版物なのだが、個人全集というまとまった出版物の同じ巻のなかのふたつの文章に似たような表現で触れられていればいやでも気になるものだ。
インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑) | |
アントニオ タブッキ | |
白水社 |
(以下引用)
フィレンツェの友人にもらったアントニオ・タブッキの『インド夜想曲』をはじめて読んだのは、昨年の春、イタリアから日本に帰る飛行機のなかでだった。こんどおなじ白水社から出る『遠い水平線』も、やはり昨年、メキシコに行く飛行機のなかで読んだ。そんなことから、タブッキと私は飛行機のなかでばかり出会う運命かもしれない。そう書きそうになってよく考えたら、それは単にタブッキの本がどれも小さくて、旅行中読むのに便利だからとわかって、なあんだと思った。
(「まるでゲームのようなはなし ヴェッキアーノにタブッキを訪ねて」『須賀敦子全集 第4巻』河出文庫 276頁)
『インド夜想曲』を読んでアントニオ・タブッキというイタリアの現代作家の存在を知ったのは、1991年の初夏、東京からメキシコを経てコスタリカに行く飛行機のなかでだった。迷路のようなインドの旅の話を、当時の自分自身にとっても、あるいは客観的な視点からみても、これまた迷路みたいに入りくんだラテン・アメリカへの旅の途中で読んだのは、ほとんど暗示的でさえあった。それ以来、タブッキは自分にとって《気になる存在》の作家になってしまったのだが、日本の読者には四冊目にあたる彼の作品集『逆さまゲーム』の訳にとりくんでいるいま、ちょっと立ちどまって自分なりのタブッキ論を試みるのもわるくないだろうと思った。
(「気になる作家アントニオ・タブッキ 自伝的データにまつわるタブッキのトリック」『須賀敦子全集 第4巻』河出文庫 320頁)
須賀の文庫版全集は8巻を全て読んで、そのなかに触れられている本もいくつか読んでみた。私自身は文学の素養が絶無なので、そのすべての味わいを素直に楽しむことができたとは言い難いが、全集を含めて、須賀と彼女が言及した作品がほとんど私か私の子供の手にあることをみれば、なにか自分の感性に引っ掛かるものを感じたのだろう。唯一他人の手に渡ったのは吉行淳之介の新潮文庫版『砂の上の植物群』くらいではないだろうか。
海外で暮らしていて日本語に対する飢餓感を多少は覚えていた所為なのかもしれないが、須賀の全集もそこで触れられていた作品のいくつかも、妙に忘れ得ぬものとなっている。だから、タッブッキの死という多くの日本人にとっては気にも留められないようなことが妙に気になってしまった。
今日は住民登録をしてある自治体の役所へ出かけて国民健康保険の加入手続きをした。実質的な退職は12月2日だが形式上は3月15日なので、職場の健康保険は3月15日まで有効だった。その翌日に保険証を保険組合へ返却し、併せて資格喪失証明の発行を依頼しておいたところ、その書類が23日に実家に届いた。それを手に今日国保の手続きを済ませたのである。その後、先日受けた入社前健診の診断書を受け取りに病院へ行く。医師の聴診で心臓から雑音が聞こえると言われてどうなるのかと少し心配していたが総合診断は「異常なし」だった。これら本日入手した国保の保険証のコピー、健康診断の診断書の原本、健康診断の費用の領収書、前の勤務先の今年分の源泉徴収票を4月からの就職先へ簡易書留で送る。就職先から今月末を期限に提出を求められている書類がいくつもあるのだが、来月にならないと交付されないものを除き、これで全ての提出を完了した。
書類を送ってやれやれと思ったところで、少し遅めの昼食をいただく。3ヶ月ほど前に近所に開店したきじ丼の店で本物の雉丼を頂く。この店の亭主は近くの台湾料理屋の息子だ。これまでは実家を手伝っていたのが、いろいろ想いを胸に巣立ったというわけだ。今日初めて知ったのだが、「きじ丼」というのは雉の肉を使った丼料理という意味ではなく、「きじ」という調理法によって調理をした食材を使った丼料理なのだそうだ。この店は本物の雉もメニューに入れていて、「きじ丼」も「雉丼」もどちらにもこだわりを持って営業しているという。例えば、雉肉の仕入れ先は注文の電話を受けてから雉を絞めるという取引先なのだそうで、肉の鮮度には自信があると語っていた。雉の肉など滅多に口にしないので、それがどの程度のレベルなのか皆目わからないのだが、少なくとも私の味覚には旨いと感じられた。店は以前に蕎麦屋として営業していた場所を居抜で使っており、カウンターだけの小さなものだが、亭主を含めて全体的に感じのよい店だ。
腹が膨れて落ち着いたところで、ハニービーンズへ立ち寄ってコーヒー豆を買う。店で店主とおしゃべりに興じていたら、町内会長が現れた。彼と会うのは昨年5月以来だ。その後、彼が引っ越してしまったり、彼の仕事に多少の変化があって行動圏が以前とは違ってしまったこともあって、すっかりご無沙汰になっていたが、久しぶりに元気そうな姿に再会できて愉快だった。
結局、昼飯を食べてコーヒー豆を買うだけで2時間かかった。昔は当たり前にあった立ち話というものが今はそのきっかけすら少なくなった。自分の身の回りにどのような人が暮らしているのか全くわからず、普段の何気ない交流があれば防ぐことができたような事件や孤独死といったことが今は当たり前に起きるようになってしまった感がある。それを思えば、近所に買い物に出て、出た先で引っ掛かってついつい長い時間を費やすというのは、贅沢なことのように思われる。