熊本熊的日常

日常生活についての雑記

寒の仕事

2018年01月21日 | Weblog

昨日が大寒。寒のうちにする仕事は味噌の仕込み。今回で3年目なのでまだ試行錯誤である。まだ「手前味噌」と言えるほどのものではないが、材料に関してはなんとなく決まりつつある気配もある。昨日は大豆を洗って水に浸けておいた。今日は大豆を茹で、潰し、糀と塩を混ぜたものと合わせ、仕込容器に詰めて重石を施した。ちなみに今回使った材料は以下の通り。

大豆:富山県産「オオツル」平成29年産 1.3kg
(株式会社ビー&ベッチ 富山県富山市)

糀:「福来純 酒屋のこうじ」 2.1kg
(白扇酒造株式会社 岐阜県加茂郡川辺町)

塩:「男鹿半島の塩」 800g
(株式会社男鹿工房 秋田県男鹿市)

糀と塩は昨年と同じである。今回大きな試みとしては仕込容器だ。一昨年、昨年と陶器の壺を使ったが、その壺にまだ昨年の味噌が入っていて利用できないということもあり、もっと当たり前に手に入るものを使ったほうが生活に馴染んだ感じがしてよいのではないかとの考えもあり、今回はポリバケツを使ってみた。もうひとつ新たな試みとしては天地返しをやってみようということになっている。

その昔、味噌を自分で作るというのはけっこう当たり前であったはずだ。私の世代なら、祖父母が味噌だの各種漬物を自分で作っていた姿を目にしたことがあるという人は多いのではないだろうか。私もその一人である。自分の両親は共働きであり、家事労働の絶対量は祖父母の代に比べると大きく減っている。それでも私が子供の頃は家に糠床があった。自分たちの食べるものを自分で作るというのは本来の在り方のような気がする。今は何でも外から購入するのが当然になってしまった感があるが、その所為で食材や調理についての知識や知恵、技能が衰えた。食材がどのようにして作られるかということへの関心が総じてなくなったので、旬や安全性の判断ができなくなった。能書やデータに依存するようになって、旨いか不味いかも自分の感覚では判断できなくなった。この調子でいくと生きることそのものが外部のデータに依存するようになるのではないか。近頃AI流行りだが、知性も感性もあなた任せで人生までデータに依存して自分では決められなくなるのではないか。

ところで、どうして味噌を作ってみようと思ったのか、今となっては記憶がないのだが、自分の生活に質感を求めたいとの思いは齢を重ねる毎に強くなっている気がする。何がどうということではないのだが、自分で自分の生活に手を加えることで過行く時間に厚みが出る感じがするのである。

 


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