熊本レポート

文字の裏に事件あり

覚醒剤に首長ポストを潰された男

2012-11-13 | インポート
 来春の首長選挙に立候補を噂されていた男が、同出馬を急に取り止めた。
 理由について、「兄が経営する企業の社員が、覚醒剤所持、同使用容疑で取り調べ中」と噂は語るが、兄弟愛がそのまま政商コンビと知る者には、「兄の会社での社員の不祥事」で、そんな「柔な話など真っ赤な嘘」となるが、仮に不出馬が事実なら「真実は何か」と、実に見逃せない政局ということになる。(詳細は次号本編)


熊本空港盗撮配線から繋がった宝来宝来神社の実像 第四弾

2012-11-13 | インポート
 宗教法人ではないから公益事業ではなく、氏子でも信者でもない不特定多数の市民によるお賽銭箱への投銭、すなわち入場料、また宝来宝来施設サイドの語る多額な寄付金、阿蘇神社を追放された神官役スタッフの地鎮祭作業収入、そして神米と称する穀物類の通販収入は、全て営利事業収入として課税対象となる、はずである。
 ところが該当自治体である南阿蘇村の商工、税務担当課は揃って
「事業及び事業者名は未確認」
 県税事務所での確認を示唆した。
 営利事業、事業者名を地元自治体が把握していないのであれば、これは県税事務所、国税でも無理な話。
 日曜祝日の入場者は1日150名前後で、異常に多く設置された投銭箱に一人合わせて1000円を投銭しても一日に15万円。平日は半分の入場者と仮定しても毎月、約255万円の入場収入が見込まれる。
「早急に調査、確認を要する」
 同村議員は語ったが、それは関わる自治体としては当然な義務。
 信仰の自由と同じく、地域社会において不利益な行為か否か、そこに疑いが発生した場合、それを質すというのは国民の誰にでも与えられた権利(刑事訴訟法第二三九条)。
「美味い商売を考えたもんだな」
 同施設を林の中に見下ろすレストランのオーナーは、笑いながらいったが、オウム真理教の当初がそうだったように、社会は「宗教」に極めて弱腰で、またタブー視する。
 営利事業として色彩が濃い中で、その義務の疑いは当然だが、やはり一番の問題は高齢者、妊婦など弱者の持つ素朴な日本人的な宗教心への裏切り、日本文化への挑戦である。
 もちろん彼らの信仰の自由は侵してはならないが、また氏子、信者ではなくとも同施設の実態を承知の上でお詣りするのであれば、それも何ら問題はない。
 ところが同施設を退場して、
「宗教法人ではないのか、ドォーモ(ブロックテレビ局の制作番組)で『安産の神様』と紹介(実際の番組内容とは異なる)していたので、娘を連れて来てお参りしたのだが、騙された」
 そんな怒りの話が出たら、問題なのは唯心論、心の問題。
 騙される方が悪いなんて、そんな心こそ許してはならないのである…。



盗撮配線で繋がった宝来宝来神社の虚像と実像 第三弾

2012-11-06 | インポート
 平成二年、坂本○○氏(広島県福山市箕島町)が別荘用地として同地(阿蘇郡南阿蘇村河陰字小畑2909の2)の4105平方メートルを購入。
 これが「開発造成中、ショベルカーのショベルが大きな岩石(後の当銭岩・御神体)に当たり、『宝くじを買いなさい』とお告げがあった」(同施設のブログに記載)という宝来宝来神社のスタート。
 そして同ブログは「四国の友人がお詣りして、宝くじを買ったら途方もない大金が当たって、それで神殿を寄付」と続くが、この神殿、店舗、作業所も同じく同氏が登記所有。
 後述する神官役のスタッフが「広島のオーナー」として認めた通り、宮司や宗教法人の責任役員ではなく、坂本○○氏は宝来宝来神社の事業主。
 先の『宝くじの途方もない大金主』について所在を尋ねると、山本寛斎(著名なファッションデザイナーとは別人)と称する庶務担当のスタッフは「高知県の人…東京で教師をしていた…退職して全国を旅して回っている…高齢だから亡くなった可能性が高い」と二転三転の回答。
 続いて「神事は誰が執り行っているのか」と聞くと、同スタッフは「阿蘇神社の元神官」と地鎮祭(出張)の担当者(先述の神官役)を紹介。
 これには阿蘇神社、
「活動については論評する意思もないが、当神社の名前を出されるのは迷惑」
 憤慨してコメント。確かに威厳に関わる問題。
 そこで阿蘇神社に替わって同神社の参道に住む市民が、「追放された人で、身を寄せた奥さんの家の敷地内で別居と噂」
 教えた。
 先の庶務担当が「オーナーは離婚」と語ったが、この神官役スタッフの噂も重ねると、『縁結びの神』として施設に参る若者たちの心中とはどういうものか。
 そこで最も理解のしやすいのが、
「あそこ(宝来宝来神社)については当初、観光客や市民からの問い合わせもあったが、あそこは宗教法人ではなく、宗教法人でなければ神道上の神社ではなく、神社として認められなければ神官、神事も不存在」
 熊本県神社庁(護国神社境内)による説明。
 確かに神道と紹介しながら、同施設内に鎮座する七福神。
 その中の恵比寿神はともかく、他は仏教、道教、インドの神様。
 この七福神、そしてお詣りの「ホギホギ」という唱語について、神官役に神道としての意味を尋ねると、「雇われる前から決まっていた」と無関係を主張。
 ここで断っておくが、『信仰の自由』は国民の誰にも認められた権利(憲法第二○条)で、それを侵すつもりはなく、彼らのホギホギ(宝来宝来)信仰をとやかくいうつもりはない。これも信仰の自由。
 だが宗教が不特定多数の社会と関わり、そこでの社会的問題と疑いを抱いた場合、それを質すという権利は国民の誰にもある。
「確かに宗教法人ではないが、宗教団体ではある」(同施設庶務担当談)
 ところが一日150名もの入場者(10月14日)は、その大多数が氏子でも信者でもない、同団体とは関わりを持たない不特定多数の一般市民。
 若者の「縁結びの神でパワースポット」、「宝くじが当たる(高額)神」という訪問理由はともかく、高齢者グループの「健康祈願」、また「安産の神という噂でお参りに来た」という妊婦の素朴な民族信仰、宗教心から考えると宝来宝来神社は果たしてどうか。
 彼らは日本人の文化として伺い、20個近いお賽銭箱に投銭しながら参って帰る。
 もちろん先に述べた実態を承知で、投銭し、お参りする市民なら何ら問題はない。これも信仰の自由。
 ところが退出後、彼らは揃って「非宗教団体とは知らなかった」と憤慨。これが問題。
 確かに宗教とは非現実的で、科学では証明のできないものだが、少なくとも日本人の文化でもある宗教心を別の意図で誘導するとなると、これは明らかに問題。断定はしないが、それだけに質す必要はある。
 オウム真理教の当初が良い例で、自治行政、またマスコミも宗教と称する施設をタブー視し、弱腰になるのは確か。
 多種信仰の日本人における素朴な宗教心と合致するかも問題だが、宗教法人としては認められない宗教施設には、社会的に重要な別の問題も存在。
 非宗教法人は公益事業とは認められないわけで、施設内外での活動収入は営利事業における収入。
 すなわち一日150名余りの投銭、インターネットでも紹介の多額な寄付、神米と称する穀物類の通販による収入は全て課税対象。
 ところが南阿蘇村の課税、商工担当課は「事業者、事業所名は未確認」といったのだ。
「まともな宗教法人、神社だと信じていた」
憤慨して語った入場者の投銭(該当者2千円)は、社会還元すらない疑いも浮上する…。(第四弾へつづく)