宗教法人ではないから公益事業ではなく、氏子でも信者でもない不特定多数の市民によるお賽銭箱への投銭、すなわち入場料、また宝来宝来施設サイドの語る多額な寄付金、阿蘇神社を追放された神官役スタッフの地鎮祭作業収入、そして神米と称する穀物類の通販収入は、全て営利事業収入として課税対象となる、はずである。
ところが該当自治体である南阿蘇村の商工、税務担当課は揃って
「事業及び事業者名は未確認」
県税事務所での確認を示唆した。
営利事業、事業者名を地元自治体が把握していないのであれば、これは県税事務所、国税でも無理な話。
日曜祝日の入場者は1日150名前後で、異常に多く設置された投銭箱に一人合わせて1000円を投銭しても一日に15万円。平日は半分の入場者と仮定しても毎月、約255万円の入場収入が見込まれる。
「早急に調査、確認を要する」
同村議員は語ったが、それは関わる自治体としては当然な義務。
信仰の自由と同じく、地域社会において不利益な行為か否か、そこに疑いが発生した場合、それを質すというのは国民の誰にでも与えられた権利(刑事訴訟法第二三九条)。
「美味い商売を考えたもんだな」
同施設を林の中に見下ろすレストランのオーナーは、笑いながらいったが、オウム真理教の当初がそうだったように、社会は「宗教」に極めて弱腰で、またタブー視する。
営利事業として色彩が濃い中で、その義務の疑いは当然だが、やはり一番の問題は高齢者、妊婦など弱者の持つ素朴な日本人的な宗教心への裏切り、日本文化への挑戦である。
もちろん彼らの信仰の自由は侵してはならないが、また氏子、信者ではなくとも同施設の実態を承知の上でお詣りするのであれば、それも何ら問題はない。
ところが同施設を退場して、
「宗教法人ではないのか、ドォーモ(ブロックテレビ局の制作番組)で『安産の神様』と紹介(実際の番組内容とは異なる)していたので、娘を連れて来てお参りしたのだが、騙された」
そんな怒りの話が出たら、問題なのは唯心論、心の問題。
騙される方が悪いなんて、そんな心こそ許してはならないのである…。