万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

競っているのは選手?スポーツ会社?

2008年06月07日 15時30分16秒 | 社会
北島、スピード社製水着で日本新!/水泳(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 着用する水着によって、明らかに勝敗が決まってしまうとなりますと、選手の誰もが”最速の水着”を着用したいにきまっています。この点において、選手達の心がスピード社の水着着用に傾くことは理解に難くないのですが、この騒動、競争が、プールから離れて別のところでも行われている結果とも思うのです。

 もし、最速の選手を決定することに競泳本来の意義があるならば、条件が同じでなくては不公平になります。条件の公平性を確保するために、選手全員が、同じ社が製造し、全く性能の等しい水着を着用することがベストということになりましょう。しかしながら、その一方で、戦後、スポーツ市場は大きく成長し、オリンピックや世界選手権といった国際的な大会は、スポーツ会社にとって、自社製品の優秀性をアピールする絶好のチャンスとなっています。つまり、国際大会とは、選手のみならず、スポーツ会社が熾烈な闘いを演じる舞台に他ならないのです。

 この二重競争の構図こそ、今回の騒動の発端と言えそうです。スポーツ各社が互角の闘いを続けている間は、この問題は表面化しませんでしたが、スピード社一社が他社に”水をあけた”ことによって、性能の差が、選手間の競争条件の公平性の問題にまで発展してしまったと考えられるのです。

 スピード水着の規制により、スポーツ各社が技術開発競争をやめてしまうことになれば、これもまた問題ですので、大会が開かれる数か月前の段階において、公正な検査と審査の下で、最も優れた水着を大会用に採用する方法はどうか、と思うのです。この方法ですと、次の大会までの間に技術開発を進めれば、他の会社にもチャンスが巡ってくることになります。また、採用水着は、競技種目ごとに選ばれるようにすれば、各社は、対象を特定の種目に絞った開発を行えるかもしれません。

 もっとも、こうした制度がなくとも、結局は自然淘汰により、選手全員がスピード社水着着用ということになりそうですが・・・。

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