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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日米同盟-現行の集団的自衛権解釈は悪徳弁護士並み

2014年04月20日 15時45分12秒 | 国際政治
集団自衛権、来月から与党調整=菅官房長官(時事通信) - goo ニュース
 1981年5月にに内閣法制局が示した現行の憲法解釈は、「集団的自衛権の行使は、主権国家の当然の権利ではあるが、自国の防衛の範囲を超えるため、憲法上使用できない」というものです。この解釈、常識に照らしますと、悪徳弁護士並みの曲解なのではないかと思うのです。

 そもそも、国連憲章第51条では、集団的自衛権に関して”保有する権利”と”行使する権利”を区別していません。条文には、「この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は…」とあり、保有と行使は一体化しています。言い換えますと、自衛のための武力行使を正当化しているのが、主権国家に固有の権利である個別的自衛権であり、集団的自衛権なのです。ですから、”権利はあるけれども、行使はできない”といった分離的な解釈は、本来、成り立たないはずなのです。しかも、現行の解釈は、この非常識な解釈の理由を、”自国の防衛の範囲を超えるため”と説明しています。集団的自衛権とは、複数の国が自国の防衛を確かにするために締結するものですので、あらゆる集団的自衛権は、他国の自衛のために行使される可能性を含みます。集団的自衛権の存在意義は、個別的自衛権の限界を超える脅威に対する対抗手段にあるのですから、自国防衛の担保としての他国防衛の義務を放棄したのでは、集団的自衛権そのものを否定したに等しくなります。日本国の国連加盟は、1956年12月18日のことですが、国連憲章が全ての主権国家に個別的自衛権と集団的自衛権を認めている以上、日本国にも、行使を含めてその権利は当然にあるとしませんと、日本国だけが、自国の存立に必要不可欠な権利を放棄していることになります(国家としての自滅行為…)。

 日米相互協力及び安全保障条約の前文には、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛権の権利を有していることを確認し…」とあります。現行の解釈では、日本国には、事実上、集団的自衛権はないことになりますので、日本国政府は、無権限で同盟条約を結ぶという信義に反する行為を行っていることにもなります。現行の内閣法制局の解釈は、早急に見直すべきと思うのです。

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コメント (2)
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