万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

第二次世界大戦の教訓―戦争回避が困難な事態こそ想定すべき

2014年08月15日 15時38分13秒 | 国際政治
平和への誓い新たに=69回目の終戦記念日―東京で戦没者追悼式(時事通信) - goo ニュース
 本日で、日本国がポツダム宣言の受け入れを正式に表明した日から69年を数えました。当時、ラジオを通して昭和天皇の玉音放送に耳を傾けた国民も少なくはなりましたが、今なお8月15日は、日本国民にとりまして特別な日です。

 しかしながら、毎年、8月15日が近付くと、日本国のマスコミ各社は、年中行事の如くにこぞって戦争批判を始めます。本日も、戦没者追悼式における安倍首相の式辞に、”不戦の誓い”がないことが批判的に報じられていました。”歴史にイフはない”とは申しますが、批判者が主張するように、当時の日本国は、戦争を回避することができたのでしょうか。仮に、日本国が、日独伊三国同盟を締結しなければ、あるいは、第二次世界大戦は、世界大戦には発展せず、ヨーロッパ内の戦争で終わった可能性はあります。条約の条文上、ナチス・ドイツは、日本国がアメリカと戦端を開かない限り、アメリカに対して宣戦布告することはできなかったからです。つまり、日独伊三国同盟がなければ、ナチス・ドイツによるヨーロッパ支配が完了し、アメリカの支援なきイギリスもまた、その軍門に下るのは時間の問題であったことでしょう。このため、少なくとも、真珠湾攻撃の前夜には、日本国は、日米開戦を求める外部の活動や圧力も手伝って、戦争への道を余儀なくされゆくのです。こうした第二次世界大戦の経緯は、戦争というものが、必ずしも、一国が単独で避けられるものではないことを示しています。そして、回避できない戦争の最たるものが侵略を受ける場合であり、侵略戦争は、それを受ける側の意思とは全く関係なく、一方的に仕掛けられるものです。

 今日、中国の軍拡を背景として、日本国が直面している危機とは、第二次世界大戦時よりもさらに明白に戦争回避が困難な侵略を受けるケースです。このケースでは、”不戦の誓い”とは、戦わずして敗北することを意味します。政治家もマスコミも、戦争回避がいとも簡単なことのように吹聴するよりも、戦争回避が困難な事態が起こり得ることを当然のこととして想定し、対策を講じておくべきではないかと思うのです。

 第二次世界大戦において、数多の尊い命が失われたことを心より悼んで

 八月の 空に遠く 過ぎし日に 斃ふるみ霊よ 永久に眠らなむ

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コメント (4)
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