万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

黒人青年射殺事件―”悪者の決めつけ”は対立を煽る

2014年08月19日 15時38分52秒 | アメリカ
米ミズーリ州黒人青年射殺事件 これまでの経緯(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版) - goo ニュース
 アメリカのミズーリ州で起きた白人警察官による黒人青年射殺事件は、黒人群衆に対して州兵の投入までが検討される事態にまで発展しました。最初は、白人警察批判の論調でしたが、対立の経緯について淡々と事実のみを報道する姿勢に転じたように見受けられます。

 この事件、一般的な事件としては、”拳銃を奪おうとした被疑者に対して警察が射殺した場合、その行為は、正当防衛として認められるか、否か”が、事実認定を含めて法廷での争点となる事件です。にも拘わらず、白人警官が黒人青年を射殺する構図であったため、この事件は、人種差別問題として大規模な抗議運動を招いてしまいました。しかも、抗議デモに留まらず、事件とは直接に関係のない商店等が損壊や略奪を受ける暴動を誘発したため、黒人群衆側が犯罪行為に及ぶ騒ぎともなったのです。そして暴動に対して、催涙ガスやゴム弾を使用したことから、警察は、”この鎮圧手段は過剰ではないか”とする批判を浴びます。警察側は、理由説明のために射殺された青年が強盗を働いているビデオを公開しましたが、これも逆効果となるのです。ここで、ニクソン知事による非常事態宣言が発せられ、ついに州兵に動員がかけられるのですが、一連の経緯を辿ってみますと、必ずしも、”全面的に白人警察が悪い”と決めつけるわけにもいかないように思えるのです。データによりますと、アメリカでは、黒人の犯罪率が高い傾向にあるそうです。犯罪とは、他者に損害を与える行為ですので、黒人のコミュニティーもまた、自らのが生活する社会に対して責任を負い、治安を改善する努力が必要です。”白人の人種差別が悪い”で済まそうとすれば、永遠に状況は改善されません(自らも被害者となる…)。また、警察側も、仮に黒人であることだけを理由として、過剰対応があったとすれば、それは、法の前の平等に反する行為となります。

 得てして、一方的な”悪者の決めつけ”は、沈静化どころか、対立を煽るだけです(警察対黒人群衆から白人対黒人の人種間対立になりかねない…)。この事件、最初の原点に返り、人種差別問題とはできる限り切り離し、正当防衛の是非を問う一般的な事件として、司法の判断に委ねるべきではないかと思うのです(陪審も公平性に…)。

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コメント (2)
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