「君たちに憎しみあげない」テロ遺族FB文章に共感の輪
パリの同時テロ事件で夫人を亡くされた仏人ジャーナリストのアントワーヌ・レスリ氏が、犯人のテロリストに宛ててFB上に認めた手紙が共感を呼んでいるそうです。「金曜の夜、最愛の人を奪われたが、君たちを憎むつもりはない」と。
文面を読みますと、レスリ氏は、”テロリストの目的とは、人の心に憎しみを抱かせる行為を敢えて実行することで、人類社会に憎しみの連鎖をもたらすことにある”と理解しているようです。そうであればこそ、”憎しみに対して憎しみを返さない”ことは、テロリストの目的達成の阻止、即ち、テロリストに対する勝利を意味するのです。しかしながら、憎悪の感情を抜きにしても、無差別殺人という罪には、それに相応する罰を与えなければなりませんし、心理的なテロへの無反応に繋がれば、被害者を増やしてしまいます。また、加害者に対して憎しみや怒りの感情を持つことは人間の本能的な心理ですので、レスリ氏の善意は、テロリストを憎む他の被害者遺族を苦しめるかもしれません。レスリ氏によれば、こうした人々は、”君たちと同じ無知に屈した”人々と見なされるのですから。こうした点を考慮しますと、安易な共感には疑問を感じるのですが、もう一つ、指摘すべき点を挙げるとしますと、レスリ氏は、言葉とは裏腹に、心の奥底ではテロリストを憎んでいると推察されることです。レスリ氏は、テロ以前の日常生活を続けることを以って”勝利”を宣言しておりますが、文面に散見されるテロリストに対する”勝ち”に拘る姿勢には、テロリストに対して”負け”を断じて認めない強固な意志が感じられます。おそらく、レスリ氏自身は自らの深層心理に無自覚であり、意図もしていないのでしょうが、テロリスト達は、このメッセージを挑戦状と受け取るかもしれないのです。
テロリストが、このメッセージから自らに対する”宗教的な高み”からの侮蔑を読み取るとしますと(”君たちは死んだ魂だ””君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国”…)、テロリストの反発を呼び起こし、レスリ氏の明示された意図とは逆に、憎しみの連鎖は続くことになるでしょう。テロリストに対して良心や道徳心を説いても改心を期待することは難しく、ややもすれば逆効果となる現状こそ、テロリスト問題の深刻さを表わしていると思うのです。
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パリの同時テロ事件で夫人を亡くされた仏人ジャーナリストのアントワーヌ・レスリ氏が、犯人のテロリストに宛ててFB上に認めた手紙が共感を呼んでいるそうです。「金曜の夜、最愛の人を奪われたが、君たちを憎むつもりはない」と。
文面を読みますと、レスリ氏は、”テロリストの目的とは、人の心に憎しみを抱かせる行為を敢えて実行することで、人類社会に憎しみの連鎖をもたらすことにある”と理解しているようです。そうであればこそ、”憎しみに対して憎しみを返さない”ことは、テロリストの目的達成の阻止、即ち、テロリストに対する勝利を意味するのです。しかしながら、憎悪の感情を抜きにしても、無差別殺人という罪には、それに相応する罰を与えなければなりませんし、心理的なテロへの無反応に繋がれば、被害者を増やしてしまいます。また、加害者に対して憎しみや怒りの感情を持つことは人間の本能的な心理ですので、レスリ氏の善意は、テロリストを憎む他の被害者遺族を苦しめるかもしれません。レスリ氏によれば、こうした人々は、”君たちと同じ無知に屈した”人々と見なされるのですから。こうした点を考慮しますと、安易な共感には疑問を感じるのですが、もう一つ、指摘すべき点を挙げるとしますと、レスリ氏は、言葉とは裏腹に、心の奥底ではテロリストを憎んでいると推察されることです。レスリ氏は、テロ以前の日常生活を続けることを以って”勝利”を宣言しておりますが、文面に散見されるテロリストに対する”勝ち”に拘る姿勢には、テロリストに対して”負け”を断じて認めない強固な意志が感じられます。おそらく、レスリ氏自身は自らの深層心理に無自覚であり、意図もしていないのでしょうが、テロリスト達は、このメッセージを挑戦状と受け取るかもしれないのです。
テロリストが、このメッセージから自らに対する”宗教的な高み”からの侮蔑を読み取るとしますと(”君たちは死んだ魂だ””君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国”…)、テロリストの反発を呼び起こし、レスリ氏の明示された意図とは逆に、憎しみの連鎖は続くことになるでしょう。テロリストに対して良心や道徳心を説いても改心を期待することは難しく、ややもすれば逆効果となる現状こそ、テロリスト問題の深刻さを表わしていると思うのです。
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テロの語源がテロル(恐怖)である事を考えますと、憎しみの連鎖と言うよりも恐怖による支配・・
人間同士の信頼の破壊・・信頼を破壊した後に残るものは猜疑心によって引き起こされるパニック状態・・国家や社會の破壊・・無政府状態・・・弱肉強食の世界です。
明けの明星と称された天使が堕とされた世界そのままですね。
世間一般的には地獄と呼ばれていますね。
ISを名乗るイスラーム原理主義者の正体が明らかになりましたね。
イスラーム原理主義と称しながら、其の実はコミンテルン(国際共産主義)だったと・・
敬虔なイスラーム教徒に対する冒涜でもあるのです。
信仰や民族の歴史・伝統・文化は保ちつつも国際社会と調和を保つ道を模索するのが常識的な在り方というもので、ムハンマドの著したコーランには一切の誤謬がない、時代や国際社会の変化で矛盾が生じるのは国際社会が悪い、文明が悪いのだから全てを破壊しムハンマドの著したコーランの通りにせよ、と考えるのがイスラーム原理主義・・
マルクスの理論に誤謬はないのだから、マルクスの理論と相反する世界は破壊し革命を起こしマルクスの思想以外の主義主張は一切認めない・・共産主義の教条主義者の理論です。
並べてみると双子かというくらいい似通っている・・
これこそがISの正体であり・・旧約聖書の創世記にある
「神と同じ力を持った」と傲慢になり、地の底に堕された明けの明星と称された大天使ルシファーなのです。
その思想の根源には、中世の錬金術が科学に変化し科学万能主義、理性万能主義があるのです。
科学と理性・・人が神を超越したと錯覚し傲慢にさせた原因でもあるのですが。
共産主義は宗教を認めません。
共産主義そのものが宗教みたいなものなのですから。
西洋の格言に「幼い子供は高貴な野蛮人である」というのがあります。
子供というのは物事の善悪の判断はつきません。
だからこそ教育を施し社会の仕組みや物事の善悪、矛盾する事柄に対して判断する価値基準をしっかりとさせなくてはならない。
それが歴史や伝統・文化等国家の根幹となる基礎であり、国家・国民意識の形成なのです。
躾や教育(予防接種)が充分になされていないと・・無政府主義や無定見な自由・・自由と我儘の区別がつかなくなり共産主義や国境のない自由な世界という理想論というウィルスに感染してしまうのです。
もしくは大中華思想のような誇大妄想に走り国際社会の秩序を破壊しようとするのです。
テロリスト予備軍は世界中に存在します。
特に若いうちは、なんでも出来る・・無限の可能性があるよう感じ誇大妄想的な思想に感化されやすいのです。
共産主義やテロリストが一番敵視するのは教育・・
それも、歴史や伝統を踏まえた正しい教育・・
人としての在り方などの哲学・・
イスラーム原理主義者が学校を襲い教育を破壊する原因がここにあるのです。
共産主義の場合は、子供を親から引き離し独自の思想教育を行います。
ここまで書いて、ふと思い出したのですが・・永山則夫氏の「無知の涙」
タイトルの「無知の涙」という言葉は再考してみる必要があるのかもしれません。
現在起きているテロとの戦いは警戒を怠らない事。
少しくらいの不自由が生じてもテロを封じ込めるためには国民の政府・警察に対する協力は不可欠です。
根源的な対策としては歴史・伝統・文化に基づく躾と教育。
哲学や教養を基本とする教育こそ、無秩序な破壊衝動やカルト・テロリストの甘言を見抜く一番の武器となります。
マスクス・レーニン主義は、明らかに暴力肯定思想であり、破壊的な革命思想ですが、”インテリ”を装うことで、知識人の間に支持者が広まってしまったところに今日の問題の出発点があるようにも思えます。進歩的知識人の存在は、この誤りの象徴であり、平和を唱えながらその一方で、暴力を肯定する極めて奇妙な集団が出現するに至ったようです。ですから、まずは、マルクス・レーニンに立ち戻り、その思想が内包する暴力性を明らかにする必要があります。その暴力性が誰の目にも明らかとされれば、進歩的知識人も目が覚めるかもしれませんし(もっとも、洗脳状態であれば、難しいかもしれませんが…)、もはや、共産主義に”入信”する人もいなくなることでしょう。