世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
毎年、スイスのジュネーヴでは、世界各国から政財界の要人を集めてダボス会議が開催されています。今年の同会議では、特にイスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏の講演が注目を集めたそうです。
ハラリ氏は、石器時代から現代に至るまでの人類史を俯瞰する『サピエンス全史』の著者でもあり、同書は世界的なベストセラーともなりました。そのスパンの広い視点から、人類の未来像について警鐘を鳴らしたのが今般の講演であり、人間の頭脳を凌ぐAIの登場により、AIと情報を独占した極少数のエリートによって世界が支配される近未来について言及しています。人類は、これまで、民主主義を政治システムの最終モデルと見なしてきましたが、それとは異なる「デジタル専制政治」が出現する可能性が高いというのです。
実際に、「デジタル専制政治」は、中国においてその片鱗を既に見せており、スマホなどの端末で収拾されたあらゆる個人情報を含む膨大な情報を独占している共産党は、先端的な情報通信技術を駆使して国民統制を強めています。中国の“エリート”達は、もはや民主主義を目指すべきモデルとは考えておらず、その膨大なコストを考慮すれば、「デジタル専制政治」の方が遥かに効率的であり、かつ、“進歩的”と見なしているのです。彼らが描く政治発展プロセスの段階では、民主政治の先に「デジタル専制政治」に位置付けられており、民主政治のステップを踏むことなく、中国は、飛び級的にさらに高度な政治システムである「デジタル専制政治」に到達したと自負しているのでしょう。
しかしながら、AIと融合した超エリートを人類から枝分かれした新たな“種の誕生”とも見なすこうした傲慢な見解は、果たして、真の“進化”として首肯しえるのでしょうか。自らを現生人類、ホモ・サピエンスから分岐した新種とみなす彼らの立場からすれば、民主主義を人類の高度な知力の賜物とみなす一般の人々は、“旧人類”という劣ったカテゴリーに分類されます。こうした思想は、選民思想の一種と言わざるを得ません。ニーチェ風に言うならばAIの助けを借りて“超人”と化した人々にとっては、既存の人類はもはや自らの“仲間”はなく、異種である家畜と同様に高みから管理すべき対象でしかないのです(もっとも、DNAレベルからすれば、一般の人類と“超人”との間には違いは全く無く、生物学的には同種…)。
「デジタル専制政治」の受け入れは、一般の人々も、自らとは異なる種に属する自称の“超人”による一方的支配を容認を意味しますが、大多数の人々は、自らを家畜化する考え方に賛意を示すはずもありません。否、中国で現在進行している「デジタル専制政治」は、人々の合意や支持を得ることもなく、権力を独占した側が動物とも共通する暴力を背景に一方的に推し進めた結果なのです。否、「デジタル専制政治」は、非民主的体制に対する内外からの批判を封じ込める体の良い“言い訳”や“隠れ蓑”なのではないでしょうか。最先端のITやAI技術を駆使してはいるものの、その本質においては、古来、人々を苦しめてきた専制政治に科学の名を纏わせたに過ぎません。科学技術の発展を人類の進歩と同義に解し、人々の錯誤を誘う手法は、進歩や科学を飾りたてて人々を野蛮な暴力革命に誘った共産主義とも共通しています。
もっとも興味深いことに、昨年8月、中国のテンセントが提供したAIとの対話サービスにおいて、AIは、“共産党は腐敗して無能”とチャットしています。インプットされた膨大な情報量の分析に基づく無感情で客観的判断に強みを持つAIが得意とする活躍領域は、犯罪の取り締まりといった治安維持や司法判断にあると考えられますので、AIに判断を任せれば、中国共産党、あるいは、習政権がAIによって真っ先に断罪される展開もあり得ます。
結局、人としての幸せの感情を実感し得ないAIによる「デジタル専制政治」は、個々の国民の幸せを理解しない中国共産党と同様に、精神性やヒューマニティーを含めた人類史において進化ではなく退化を意味するのではないかと思うのです。
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トランプ大統領、国務長官解任=後任にCIA長官―米朝会談前に外交新チーム
米朝首脳会談の行方については、日韓への北朝鮮の核攻撃のリスク等に鑑みて、アメリカが、核・ミサイル開発の凍結で手を打つのではないかとする見解があります。国内外の識者の議論を見ますとこの立場の人々が散見されますが、果たして、この観測通りに北朝鮮危機は収まるのでしょうか。
トランプ米大統領が、仮に米朝首脳会談によって両国間の緊張を大幅に緩和し、軍事制裁のオプションを見送る決意を固めているならば、ティラーソン国務長官を更迭する必要性はなかったように思えます。同氏こそ、トランプ大統領とは不仲とはいえ、対北融和路線を先導してきており、対話路線を選択するならば、最も相応しい国務長官であったからです。替って国務長官に就任する共和党所属のマイク・ポンペオ氏は米陸軍出身であり、情報収集の中枢であるCIAの長官をも務めています。同氏が対北強硬論者でもある点を考慮しますと、この人選は、対北軍事制裁のシナリオと高い親和性を示しています。ここに来て、マティス国防長官と並んで国務長官もまた軍出身者で固められたことになり、トランプ政権の布陣は対北軍事攻撃を強く示唆しているのです。
その一方で、南北会談後の韓国と北朝鮮は、一気に融和の方向に向かって走り出しています。韓国の特使団は、トランプ米大統領に対して北朝鮮には朝鮮戦争の終結を意味する平和条約の締結等の準備があることを伝えたとされており、予定されている米朝会談も、南北が敷いた融和路線の延長線上に位置づける見方が大半です。しかしながら、トランプ大統領が既に軍事制裁に向けた決断を下しつつあるとしますと、南北両国の動きは、別の思惑があるとする見解も成り立つように思えます。
その別の思惑とは、両国が協力して一芝居うつことで“北朝鮮の面子を保つ”、と言うものです。北朝鮮としては、米軍の軍事的圧力や経済制裁に屈する形で検証可能な核放棄に応じるのでは事実上の敗戦を意味しますので、人心の離反等により“金王朝”という名の軍事独裁体制が崩壊しかねない状況に陥る事態も予測されます。そこで、同じ核放棄に応じるにしても、南北融和や国際平和を表看板に掲げれば、体制に対するダメージを最小限に留めることができると考えたかもしれません。また、国際的にも、金正恩委員長は、自発的に平和的な解決を実現した為政者として、文大統領と共に称賛を受ける可能性さえあります。言い換えますと、アメリカをはじめとした国際社会が軍事・経済両面における制裁強化によって北朝鮮を検証可能な核放棄に追い詰めたその努力や功績を、北朝鮮は、最後の土壇場で自らの“手柄”にすり替えようとしているとも推測されるのです(実際には、自ら危機を造りだしたものの、手痛い抵抗に遭い、自らそれを止めざるを得ない状況に至ったに過ぎない…)。
上記の見解は憶測の域をでませんし、北朝鮮の核・ミサイル開発の進捗状況に関する情報が不足している現在、米朝会談が、冒頭で述べたように核・ミサイル開発の凍結に終わる可能性も否定はできません。しかしながら、アメリカの動向と平行して南北両国の動きを観察しますと、南北融和の演出は、むしろ、北朝鮮による検証可能な核放棄の受託への事前準備であるとする見方もあながち否定できないように思えるのです。
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日本政府、北朝鮮との首脳会談を模索へ=政府関係者
米朝首脳会談の5月までの開催が予定される中、日本国政府内でも、この一連の流れを受けて日朝首脳会談の開催を探る動きがあるそうです。拉致事件の解決が独自開催の理由として説明されておりますが、状況次第では、拉致被害者が取引材料とされるリスクがあるように思えます。
米朝首脳会談の席が、北朝鮮による事実上の“無条件降伏”の場を意味し、アメリカの要求通りに検証可能な形で非核化が実現するならば、日本国政府は、その余勢を駆って日朝首脳会談において拉致被害者の帰国を強硬に要求することができることでしょう。アメリカが事前に日本国政府の対北拉致事件解決要求を承認していれば、日朝首脳会談は、米朝首脳会談と同様に成功裏に終わるはずです。
しかしながら、識者等の凡その見方は上記のシナリオとは違っています。たとえ基本方針として北朝鮮の非核化が米朝間で合意されたとしても、良くてアメリカ本土の脅威にならない程度の核・ミサイル開発の暫定的な凍結となるのではないか、とする見方が有力です。イラクやリビアの事例を教訓としている北朝鮮が検証可能な形で核を放棄するはずはなく、条件闘争の結果次第では、北朝鮮は、一定の範囲で計画を維持するか、あるいは、何らかの“あめ”を見返りとして受け取ると見ているのです。そして、最悪のケースとして、またしても過去の失敗を繰り返し、時間稼ぎに利用された挙句に北朝鮮によるICBM実戦配備が実現してしまうとする悲観的な予測もあるのです。
仮に、アメリカが北朝鮮を捻じ伏せたのではなく、後者の予測通りに米朝首脳会談が両国首脳による“ディーリング”の場となるならば、北朝鮮もまた何らかの要求を持ち出すはずです。おそらく、上記の核・ミサイル開発の凍結に加えて、“金王朝”と称される軍事独裁体制の保障や米朝関係の正常化などなのでしょうが、この時、日本国の拉致問題が絡んでくるとなりますと、北朝鮮側は、米朝会談では触れないとしても、日朝会談においてその見返りを日本国に求める可能性があります。言い換えますと、拉致被害者の帰国は北朝鮮の手の内にある交渉カードの一枚となり、日米側は、このカードを北朝鮮に切られた場合、何らかの譲歩を余儀なくされかねないのです。それは、凍結方式の容認であるかもしれませんし、北朝鮮は、常々、日本国から資金を引きすチャンスを窺っていましたので、莫大な経済支援の提供かもしれません(事実上の人質に…)。
こうしたリスクを考慮しますと、拉致事件と核・ミサイル開発の両問題の解決とは、一先ずは切り離しておき、同一の交渉テーブルには載せない方が安全なように思えます。“バスに乗り遅れるな”式で首脳会談の開催、並びに、拉致問題の解決を急ぐと、無法国家である北朝鮮を利することになりかねないのですから。拉致問題は、北朝鮮危機に一定の見通しが付いた時点において、筋の通った解決を目指すべきではないかと思うのです。
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【中国全人代】国家主席の任期撤廃、改憲案を可決 中国政治体制の分岐点
今月11日、中国の全国人民代表大会は、国家主席の任期を2期10年までと定めていた憲法改正案を可決し、習近平国家主席の3期続投を阻む憲法上の障壁は消滅しました。終身国家主席への布石とも評されており、同改正案が習主席の意向を受けたものであることは疑いようもありません。
凡そ腐敗追放運動と軌を一にして遂行されてきた習主席への権力集中は、遂に集団指導体制から個人独裁への転換を帰結したわけですが、憲法改正に至る一連の動きから痛感させられるのは、立憲主義は、民主主義と一対でなければ無意味となるという歴然とした事実です。
日本国をはじめとする民主主義国家では、憲法は、為政者による恣意的な権力行使を防ぐ砦であり、政府もまた、憲法に服するものと理解されております。政府の行為に僅かでも違憲の疑いが持たれようものなら、政界もマスメディアも蜂の巣をつついたような騒ぎとなります。しかしながら、こうした立憲主義の制御作用は、あくまでも、憲法制定権力と称されている憲法を制定したり、改正したりする権力が国民に存する―主権在民―の国に限られていると言わざるを得ません。共産党一党独裁体制を維持している中国のように、特定の政党、あるいは、その政党のトップに憲法制定権力が事実上握られている国では、憲法の条文が為政者の意向と衝突する場合、為政者は、国民を完全に無視して自らの意のままに憲法の方を改正できるからです。民主主義国家の憲法改正手続きと同様に、仮に中国でも、国家主席任期の撤廃に関する憲法改正案に対する賛否を国民投票を以って中国国民に問うとしたら、恐らく、過半数の賛意を得ることはできなかったのではないでしょうか。
同憲法改正案には、党員以外の公務員らも摘発対象に含める「監察委員会」の新設も盛り込まれていたそうです。監察を専らとする国家機関の設立には、政治的粛清手段を手放したくない習主席の思惑が滲み出ており、否、その権限を自らの手中に収めるためにこそ憲法に明記したのでしょう。そしてこの機関は、アケメネス朝ペルシャ帝国の“王の目・王の耳”と呼ばれた皇帝直属の行政監察機関を思い起こさせるのです。非共産党員を含む全ての公務員は、日々、習主席の監視の目を怖れ、その命令への絶対服従を強いられることでしょう。
“現代の皇帝”を生み出した中国における“時代の逆走”は、他の諸国にとりましては反面教師でもあります。立憲主義が機能する条件を再確認すると共に、民主主義のメリットをより深く理解する機会となったのですから。
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金委員長がトランプ氏に伝えた「特別メッセージ」=韓国で関心高まる
報道に拠りますと、トランプ米大統領は、北朝鮮側からの米朝首脳会談の申し入れに対して、二つ返事で承諾したと伝えられております。かくも同大統領がトップ解決に期待を寄せた背景には、韓国が派遣した特使団が伝えた非公開とされる北朝鮮側からの“特別メッセージ”に気をよくしたためと推測されます。
口頭で伝えられたとする北朝鮮側のメッセージの内容は詳らかではなく、おそらく“米側が望む非核化は可能”というものなのかもしれません。しかしながら、あくまでも北朝鮮側からの“伝言”であり、金正恩委員長からの親書と言った文書形式ではないところに一抹の不安を覚えます。何故ならば、古今東西を問わず、仲介者が伝言の内容を換えてしまうケースがないわけではないからです。
伝言に加筆や改竄が行われる理由は状況によって様々ですが、対立関係にある当事者の双方を対談の場に引き出したり、合意形成を促すことが目的の場合もあれば、両者の対立を仲介者が自らに有利な方向に利用するためである場合もあります。実のところ、日本国の歴史にもその事例があり、江戸幕府の対李氏朝鮮の交渉窓口となっていた対馬藩は、両国の間を取り持つために、双方が合意可能なレベルに落とし込むように伝言内容を巧みに“調整”していました。時には、内容の違いが発覚し、幕府から詰問されたり、トラブルとなることもあったのですが…。些か不名誉なお話かもしれませんが、この事例からは、外交交渉の大役を担っていた対馬藩が、紛糾しがちな日朝の間で苦しんだ様子が窺えます。
翻って今般の南北会談から米朝首脳会談への流れにおいて韓国が重要なメッセンジャー役を担っている点に注目しますと、先ずは、南北会談で北朝鮮側から託されたとされる“特別メッセージ”、即ち、金正恩委員長の真意なるものを正確に掴む必要があります。南北会談における北朝鮮側の実際の発言とトランプ米大統領に伝えられた“特別メッセージ”との間には違いがあるかもしれないからです。そして、仮に内容に違いがあるとすれば、それは、何としても話し合い解決に導きたい文大統領が独断で書き換えたのか、それとも南北が共謀して書き換えを行ったのかを確かめる作業も要します。あるいは、アメリカを騙すために、北朝鮮が、敢えて真意とは異なる内容のメッセージを、口頭伝達という逃げ道を用意した上で、韓国に託した可能性も否定はできません。
何れにしましても、トランプ大統領の高揚した発言からしますと、少なくとも韓国の特使団は、北朝鮮の急転直下とも言える“変身ぶり”を“特別メッセージ”として伝えたのでしょう。しかしながら、謀略が渦巻いてきた朝鮮半島の歴史に鑑みますと、メッセンジャーを介した口頭伝言には要注意であり、米朝両首脳が直接に対峙する会談では、トランプ大統領が、相手方との認識の違いに唖然とさせられる展開もあり得ないわけではないように思えるのです。
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IAEAの北朝鮮査察費用負担へ 日本、人員や機材調達の3億円超
アメリカのトランプ大統領は、米朝首脳会談の行方については楽観視しているようです。おそらく、北朝鮮は、検証可能な形での核放棄に応じると読んでいるのでしょう。
仮に、北朝鮮が核放棄を決断するとしますと、次なる問題は、如何にして合意の核となる“検証可能”を確保するのか、という手段、及び、手続きに移ります。そこで浮上しているのが、IAEAによる特別査察官の北朝鮮への派遣です。IAEAによる特別査察は、過去において北朝鮮が国外退去の処分としたことから日米中ロ韓による非核化協議の枠組であった六か国協議が破綻する原因ともなりましたが、今日、再びこの方法が選択肢の一つとされているのです。
もっとも、IAEAによる特別査察方式では、完全なる核放棄には至らず、核開発の凍結に留まる可能性もあります。過去の特別査察においても、査察官のその主たる任務は核施設の停止、及び、封鎖状況の確認であり、実力行使による非核化ではないからです。このことは、北朝鮮の独裁者が決断すれば、前回と同様に、何時でも合意を反故にして核開発を再開できることを意味します。また、如何なる例外も認めない無条件査察でない限り、秘密施設における核開発を防ぐこともできません。軍事独裁国家である北朝鮮が、山岳部や地下を含む全土において核査察を許すとも思えないからです。言い換えますと、過去と同じ手法では、北朝鮮に三度も騙されることとなります。
過去の失敗を繰り返さないためには、幾つかの方法が考えられます。第一の方法は、IAEAの査察方式ではなく、米軍が非核化を担当する特別部隊を結成し、北朝鮮の全土を隈なく調査した後に、秘密施設等を含む全ての核施設を破壊すると言うものです。この方法では米軍の実力行使を伴いますので、最も確実な非核化の方法です。
上述したIAEAの特別査察をさらに厳格化した上で、北朝鮮側が合意を反故にした場合の軍事制裁を明確化するのが第二の方法です。この方法において特にポイントとなるのは、非核化の保障措置、即ち、軍事制裁という合意違反に対する罰則措置の明確化です。従来の方法では、北朝鮮がIAEAの査察官を国外に追い出した時点で、国際社会はお手上げ状態となりました。同手法を踏襲したのでは、北朝鮮に時間的猶予を与えるのみとなりますので、今度ばかりは合意違反に対して明確な歯止めをかける必要があります。
第三の方法は、比較的中立的な国や軍事機構等に北朝鮮の核施設破壊を任せるというものです。おそらく、米軍が単独で北朝鮮領内に部隊を直接に展開すれば、北朝鮮のみならず、そのバックに控える中国やロシアからの強い反発も招く可能性があります(日本国の自衛隊でも反発が予測される…)。そこで、北朝鮮の非核化を担う多国籍部隊の結成を定める国連安保理決議を成立させることができれば、国際社会の合意と監視の下で同作業を実施することができます(NATOやEU等も候補に挙がるかもしれない…)。中国は、自らこの作業を買って出る可能性もありますが、同国はもとより北朝鮮の同盟国であり、また、国家としての信頼性も低いことから、同作業を任せるに適した国ではありません。
日本国政府は、IAEAによる特別査察が選択される場合に備えて、既に、3億円ともされる初期の準備費用の負担を表明しております。しかしながら、より確実に北朝鮮を非核化するためには、上記の案を含め、様々な手法があるはずです。米朝会談は5月までに開催される予定なそうですが、それまでの間、アメリカ、並びに、日本国を含む国際社会は、非核化の手法について“詰めの作業”を行うべきではないかと思うのです。
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米朝首脳会談は北側の「勝利」 専門家らが警鐘
トランプ米大統領による米朝会談開催提案の受け入れ表明は、当事国のみならず、国際社会全体に波紋を広げております。日本国もまた例外ではなく、開催予定とされる5月までの間、交渉の行方に神経をすり減らさずにはおられない状況が続くことでしょう。メディア等の情報に依りますと、同会談の評価と行方については、およそ、以下の3つの見解に分かれているようです。
第1の見解は、アメリカのトランプ大統領の認識によるものであり、同会談の実現は、アメリカを中心とした軍事・経済両面における国際圧力の賜物である、とするものです。この北朝鮮ギブアップ論に基づきますと、同会談の行方は、北朝鮮による検証可能な方法による核放棄以外にはあり得ず、軍事力を背景としたアメリカの外交的勝利に終わるシナリオが描かれます。ただし、検証可能な非核化の手段をめぐり、北朝鮮が条件闘争を繰り広げたり、同国の保護者として中国が介入する可能性があります。
第2の見解は、第1の北朝鮮ギブアップ論に対して懐疑的な立場の人々によって唱えられています。それは、北朝鮮は米国本土を核攻撃できる能力を遂に保有する段階に至ったため、その成果を対米脅迫の手段とすべく、アメリカを交渉の場に引き出したとするものです。この立場に立脚すれば、米朝会談の行方は、如何なる条件下であれ、北朝鮮の非核化は実現しません。核弾頭の小型化もICBMやSLBM等の開発も既に完了しているならば、アメリカは、北朝鮮の脅しを前にして死活的な決断を迫られることでしょう。仮に脅迫に屈し、北朝鮮の要求を呑むとしますと、NPT体制は崩壊すると共に、トランプ大統領は外交的敗北を喫することとなります。
そして第3の見解とは、今日、メディアが報じている凡その状況に即したものです。乃ち、北朝鮮の核弾頭小型化技術は未熟であり、米本土に到達する能力を有するICBM等を実戦用に配備するほどの段階にはないが、これらの開発停止を制裁緩和の交渉材料として米朝首脳会談に臨むというものです。この立場における交渉の行方は、最も不透明です(米朝合意の内容次第では、日本のみが北朝鮮の核攻撃の対象となる可能性も…)。とは言うものの、たとえ同会談において核放棄に向けた大筋の妥協が成立しても、それは時間稼ぎ、あるいは、ポーズに過ぎず、意図的に交渉を長引かせたり、突然に合意を破棄することで、北朝鮮が米国本土核攻撃能力を備える可能性も否定はできません。この場合、即、第2の立場に移行します。
以上に北朝鮮の核・ミサイル開発のレベルごとにその展開を推測して見ましたが、第3の見解に基づく過去の失敗を繰り返さないためには、アメリカは、北朝鮮の核・ミサイル開発レベルの如何に拘わらず、最低限、検証可能な形で北朝鮮の核放棄を実現する必要があります(北朝鮮が拒否した場合には会談が決裂し、即、軍事制裁となるのでは…)。一方中国は、アメリカが進める北朝鮮の非核化プロセスにおいて、最大限に自国の利益を確保しようと努めることでしょう。果たして、最後に笑うのは誰なのでしょうか。朝鮮半島問題の専門家等の警告として、米朝首脳会談の開催は北朝鮮の“勝利”とする見方も報じられておりますが、無法国家が最後に笑う事態だけは、人類の善き未来のために、何としても避けなければならないと思うのです。
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国会、森友疑惑で混乱続く 与党、本会議を強行
朝鮮半島情勢をめぐり、アメリカのトランプ大統領は、南北会談における北朝鮮側の米朝首脳会談開催の提案を受けて、これを承諾したとも報じられております。開催時期は5月頃までとのことですが、この会談における合意次第では、日本国も重大な防衛、並びに、安全保障上の問題に直面することとなります。
東アジア情勢は風雲急を告げているのですが、日本国の国会の様子を見ますと、自国の安全の確保など“どこ吹く風”の様子であり、最大の関心事は森友疑惑です。とりわけ、朝日新聞社が決済文書書き換え疑惑を報じたことから、野党6党派はボイコット戦術に出る事態に至りました。森友学園や加計学園問題が持ち上がった昨年以来、国会は、疑惑の糾弾に大幅に時間を割き、あたかも司法機関と化したかのようです。
日本国憲法では、国会は国権の最高機関と位置付けられております。議会と言えば法律を制定する立法が主たる役割ですが、その他にも国政全般について審議したり、政府や省庁に対する行政チェックや裁判官に対する弾劾裁判権などを行う役割をも担っています。森友疑惑に関しては、野党6会派の議員は自らの活動を国政調査権に基づく行政チェックと見なしているのでしょう。しかしながら、果たして、他の国政に関する重要課題を放り出してまで国会はこの問題に拘泥すべきなのでしょうか。
この種の疑惑の解明には、中立・公平な機関による調査を要するとするならば、国会は適任者ではないはずです。疑惑が公文書の書き換えと言った刑法上の罪であるならば、捜査や立件は司法機関に任せるべきでしょう。また、“忖度”といった非公式ルートによる行政上の決定が問題となるならば、国会が第三者機関として調査機関を設けると言った方法もあります。諸外国では、行政監査機関としてオンブズマン制度を設けている事例が見られますが、第三者機関に一定の期間を設けて調査権を与え、その報告書に基づいて対応や処分を決定すれば、国会は通常通りに運営することができます。
森友疑惑が紛糾する理由は、おそらく、野党6会派が同問題を安倍政権を退陣に追い込む絶好のチャンスと見なしているからなのでしょう(真の目的は親中政権の樹立?)。また、闘争や糾弾を生業としてきた活動家出身の政治家が多い野党は、冷静、かつ、論理的に政治問題を議論するよりも、実力行使や直接行動を好むからかもしれません。何れにしましても、国会議員、特に野党6会派は自らの役割を自覚すべきであり、東アジア情勢が緊迫する中、ボイコットを敢行するようでは、その無責任さから国民からの信頼と支持は低下の一途を辿ることになるのではないでしょうか。
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憲法第9条の改正案につきましては、自民党の改憲本部内でも、2項維持派と削除派との間で意見が纏まらず、紛糾が続いてきました。こうした中、報道に拠りますと、凡そ、2項を維持した上で自衛隊を明記する方向で調整に入ったそうです。しかしながら、その改正案を読みますと、同案を支持するのは、保守派ではなく、むしろ、護憲派なのではないかと思うのです。
改正案では、戦力の不保持と交戦権を否認した2項に対して、「必要最小限の実力組織である自衛隊の保持を妨げない」と追記することで、自衛隊の合憲性が明文化されるそうです。保守政党である自民党は、戦後のGHQによる占領統治下において制定された現行の日本国憲法が、日本国の主権を制限すると共に、現実との間に齟齬を来していることを問題として憲法改正作業に取り組んだはずです。ところが、この改正案では、以下の点で、所期の目的から大幅に外れ、むしろ、護憲派の憲法解釈に沿ったより主権制限的な方向へと向かっていると言わざるを得ないのです。
第1の点は、自衛隊の存在を憲法に明記はしても、それが、一般の軍隊であるとは記していないことです。あくまでも“実力組織”であり、戦力、即ち、軍隊の不保持はそのまま維持されているのです(そもそも“実力組織”という表現も曖昧)。憲法改正の根拠として、現行の条文では、自衛隊が国際法の保護を受けることができないとする懸念がありましたが、この改正案でも、軍隊とは明記されないわけですので、現状が改善されるわけではありません。合憲性をめぐる議論に終止符が打たれたとしても軍隊ではないならば、むしろ、自衛隊を軍隊として認めたくない護憲派にとって好都合なのです。
第2の点は、日本国の主権制限に当たる交戦権の不保持もそのまま維持されていることです。占領下に制定された現行の憲法は、戦勝国による敗戦国の軍備縮小の国内法化の側面がありましたが、講和条約成立後も主権制限状態が維持されている現状は、国際社会における主権平等の原則に反しています。否、全ての加盟国に個別的自衛権、並びに、集団的自衛権を認めている国連憲章第51条に対する違反とも解されます。国家の主権が個人レベルの基本的人権に当たるならば、日本国は、憲法において自発的に自国に対して“人権侵害”と“敗戦国差別”を認めることとなるのです。この点も、護憲派にとりましては大歓迎となりましょう。
第3に問題点を上げるとすれば、国際法違反の国に対する軍事制裁としての“国際警察活動”への対応において、再度、神学論争が発生する余地を残していることです。自民党内では、“自衛隊が地球の裏側まで行って戦争できるようになる”との批判を避けるためには、集団的自衛権の範囲を制限すべきとの意見があるようですが、国連憲章第7章では、加盟国が“国際警察活動”の一環として軍事的措置等について規程を置いています(加盟国の義務でもある…)。また、有志連合の枠組においても、自衛隊がこうした活動に参加する可能性も否定はできません。時代の変化への対応として憲法第9条を改正するならば、実のところ、“地球の裏側”にあっても、国際法秩序を維持するための執行行為としての武力行使も想定内に入ってくるはずなのです。護憲派は、国際法違反を繰り返す中国やロシアと近い関係にありますので、“国際警察活動”への参加に関する憲法上の根拠を曖昧にしておくことは好都合なことでしょう。
以上の諸点からしますと、今般の自民党の改正案は、憲法第9条を護憲派の解釈に近い形で明確化するものですので、護憲派が支持しても、国民多数が同案に賛意を示すかどうかは不明です。戦後、長らく保守政党の念願とされた憲法改正が、日本国の軍事行動をより制限する形で実現するならば、“悪い冗談”としか言いようがないように思えるのです。
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トランプ氏「非核化の意思」評価、北と対話検討
今月6日に朝鮮半島の南北両国の間で設けられた会談において、北朝鮮の金正恩委員長が自ら“非核化の意思”を表明したことに対して、アメリカのトランプ大統領は、“非常に前向き”とする高い評価を与えているそうです。これまで北朝鮮は、核放棄を前提とした対話には断固として応じない姿勢を貫いてきただけに、180度の方針転換は、軍事的圧力と経済制裁を前にして北朝鮮が音をあげて折れたかの印象を受けます。
“非核化の意思”表明が白旗を上げるに等しければ、確かに、トランプ大統領の期待通りの展開となるのでしょう。しかしながら、“非核化の意思”を示したのは今度が初めてではなく、国際社会は、過去に二度(米朝枠組み合意・六か国協議)、同条件の下で協議に応じた結果、北朝鮮に核・ミサイル開発の猶予を与えるという致命的なミスを犯しています。さすがにマスメディアも同じ過ちを三度繰り返すリスクについては言及しており、日本国政府も、同会談の合意の行方に関しては懐疑的なようです。
そして、今般の北朝鮮側からの提案において注意を要する点は、この案が、中国、あるいは、中国の背後に控える国際勢力の発案である可能性があることです(未確認情報によるとキッシンジャー案?)。何故ならば、北朝鮮側の提案の要点である(1)朝鮮半島の非核化、(2)体制の維持、(3)対韓武力不使用の3点からしますと、朝鮮半島の近未来とは、(1)北朝鮮による核・ミサイル放棄と韓国への核配備断念をセットとした上で、(2)と(3)を実現するために、在韓米軍を撤退させる、即ち、米韓同盟を終了させるというものであると推測されるからです。北朝鮮の理屈からすれば、南北が融和した以上、北朝鮮が核を保有する根拠が消滅すると同時に、韓国もアメリカと同盟を組む必要がなくなるということなのでしょう。
憶測の域を出ませんが、仮に北朝鮮がこのようなシナリオを構想して対米交渉に当たり、米朝首脳会談でアメリカ側がこれを認めるとしますと、この一連の動きで最も利益を得る国はどこかと申しますと、それは、中国を置いて他にありません。中国にとりましては、(1)米韓同盟の終結によるアジアにおけるアメリカのプレゼンスの縮小、(2)北朝鮮との独裁体制連合の維持、(3)北朝鮮の非核化、(4)日本の核保有の阻止、(5)韓国の事実上の属国化、といった自国に有利な国際状況に誘導する絶好のチャンスとなるからです。
マスメディア等は、歴史的な和解の立役者として米朝両首脳にノーベル平和賞を、といった調子で持て囃すことでしょうが、このシナリオの実現は、日本国の対中防衛線が対馬にまで下がることを意味し、真の危機は、この後に訪れます。世界支配の野望を隠さない軍事大国中国にアドヴァンテージを与えるのですから。一時の成果に惑わされず、日米のみならず、国際社会は、先の先を読むような判断を迫られているのではないかと思うのです。
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仏作家セリーヌの激烈な反ユダヤ評論、大手出版社が復刊に意欲
ユダヤ人批判は、欧州諸国ではタブー中のタブーであり、ドイツやフランス等ではヘイトクライムとして刑罰の対象ともなりかねません。こうした中、フランスの大手出版社ガリマールが、作家ルイフェルディナン・セリーヌが著した反ユダヤ論評を復刻する計画を温めているそうです。
セリーヌの反ユダヤ論評の内容については詳らかではないのですが、同氏への批判は、第二次世界大戦時におけるナチスドイツによるフランス占領下において、同氏の作品が対独協力に貢献したとする認識によるものです。言い換えますと、ドイツの反ユダヤ主義に阿った“売国作家”ということになります。その一方で、当時、セリーヌが偉大なる作家として称賛されていた事実は、当時のフランスにあって、反ユダヤ主義にはフランス国民の潜在意識に訴え、ドイツとの連帯を醸し出す心理的な効果があったことを示しています。そして、この反ユダヤ主義の根源を探る時、そこには、独仏を含むヨーロッパ諸国がユダヤ人を“共通の敵”と見なすに至る歴史が横たわっているように思えるのです。
ヨーロッパ諸国の反ユダヤ主義の根は深いものの、おそらくその傾向が顕著となったのは、十字軍以降におけるユダヤ人の移住と活動の活発化に求めることができるかもしれません。ヨーロッパ最古のゲットーはヴェネチアに設けられており、ユダヤ人商人の拠点ともなりました(タルムードの最初の出版地もヴェネチア)。また、ユダヤ人商人は、東方のチンギス・カーンにも取り立てられ、モンゴル帝国の拡大と共に“御用達”の地位をも得ています。13世紀のバトゥの遠征に際しては、征服した東欧諸国のキリスト教徒を奴隷として売りさばくなど、ユダヤ人は、その征服過程で大虐殺と人身売買を繰り返したモンゴル帝国の協力者ともなったのです。以後、奴隷貿易は、イスラム商人と共にユダヤ商人の生業ともなりました。
しかも、ユダヤ人は、『新約聖書』にも記されているように、その多くは「モーゼの十戒」を誠実に守らず、守るユダヤ人の一派がいたとしても、それをユダヤ人同士のみに適用しました。また、ユダヤ教には、犠牲を供するアミニズム的な異教も流れ込んでおり、ユダヤ教が内包するカルト的な要素や排他性はキリスト教社会の脅威ともなったのです。こうした異教徒としてのユダヤ人達は、高利貸業により金融の世界を牛耳るようになり、一般の人々の生活をも脅かすに至ります。高利貸しにより家財産を失い、人生を破滅させた人々はどれほどに数に上るでしょうか(加えて、“いかがわしい職業”もユダヤ人経営が多い…)。国家もまた無縁ではなく、政府(王室)のユダヤ金融からの多額の借金や献金は、ユダヤ勢力に国権を握られる一因ともなりました。そして極めつけは、諸国を背後で操る国際謀略ネットワークの形成であり、フランス革命をはじめ、革命、戦争、テロの背景には、必ずと言ってよい程にユダヤ勢力の影が見え隠れしているのです。
ホロコーストによる犠牲者は、一先ずは“600万人”ともされていますが、フランス革命では革命戦争を併せて200万人のフランス人の命が奪われており、ロシアや中国での共産党の殺戮は、億の単位を数えるとされています。カール・マルクスやレーニンもまたユダヤ人でしたが、ユダヤ人が全世界で殺害した人数は膨大であり、今日にまで及ぶ文明や文化、そして国家の破壊を含めますと、天文学的な被害を人類に与えています。
ユダヤ人は、ホロコーストを根拠としてユダヤ人差別を糾弾し、法律まで制定して自らに対する批判を封じていますが、人類史を俯瞰しますと、ユダヤ人が加害者であった時代の方が遥かに長く、それによる被害も甚大です。長期的スパンからしますと、一方的にユダヤ人のみを罪なき被害者として扱うのは公平性を欠いており、ユダヤ人迫害は、ユダヤ人の強欲さの餌食となってきた被害者達の復讐心によるものとしても理解されるのです(もちろん、罪なきユダヤ人も存在していたのですが…)。
ガリマールに依れば、セリーヌの反ユダヤ論評の復刻は、“天才は同時に卑しき人間にもなり得る”こと、即ち、“卑しき天才”を示すことが動機なそうですが、果たして、ユダヤ人は、胸を張って自らを“崇高なる民族”であったと言えるのでしょうか(崇高なる精神には他者に対する慈悲深さや責任感等が伴う…)。歴史の因果を無視した一方的なユダヤ人被害者論には疑問があり、ユダヤ批判者を“卑しい”と決めつけ、事実に基づく正当な批判さえ許さない選民意識こそ、ユダヤ人自身がユダヤ人問題を引き起こす原因ではないかと思うのです。ユダヤ人は、何故、人々から尊敬される善き人々に自らを変えようとはしないのでしょうか。
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昨日3月4日の晩に、NHKのニュース7を視ておりましたところ、トップ映像として、地方自治体における外国人人口の増加を報じておりました。全般的に地方自治体における永住外国人人口が増加傾向にあるとする内容でしたが、特に驚愕させられたのは、出雲市の取組みです。
出雲と申しますと、年に一度、神無月には八百万の神々が集う日本国の神話的な世界の舞台でもあり、出雲大社の所在地としても知られております。それ故に、国民の関心度も高いのですが、出雲市では、目下、少子高齢化による住民の人口減を補い、地方経済を活性化するために積極的に外国人を受け入れ、その定住を進めているそうです。同市の市長の談として、人口の30%までの外国人人口の増加を目指すということですから驚きです。
地方振興策としての外国人呼び込み政策は、出雲市に限ったわけではありませんが、30%という高い目標設定は、一般の日本国民の目には脅威に映っても不思議ではありません。凡そ三分の一に当たる30%とは言いましても、一般的には移民系の家庭の出生率は高く、十数年もすれば、過半数の50%を容易に越えてしまうからです(一般の日本人がマイノリティーに転落…)。そして、この問題は、地方自治体による移民政策が、国民全体としてのコンセンサスを要さずして独り歩きしてしまうリスクをも示唆しています。
イギリスのEU離脱決定の最大の要因は、EUにおける人の自由移動の原則にありました。域内では、国籍に拘わらず、自由に加盟国間を移動できるため、イギリスの国境管理の権限を侵害するとする認識が強まったのです。言い換えますと、欧州統合が国家統合を破壊するという深刻な問題を引き起こしたのです。その一方で、EUでは、従来、一加盟国における積極的な移民受入政策が他の加盟国の移民規制政策を無効化してしまう問題が議論されてきました。加盟国一国で入国が許可された外国人は、その後、どの加盟国に自由に移動しても構わないからです。この問題も、人の自由移動の原則に起因しており、EUレベルでの国境管轄権を強化する根拠ともなったのですが、何れであれ、EUの事例は、‘一部の構成国の移民政策が全体、あるいは、他の全メンバーに与える深刻な影響’という問題を提起しているのです。
こうしたEUが提起した問題点を日本国内に当て嵌めて考えて見ますと、事の重大さが理解できます。何れかの地方自治体が積極的に移民受入政策を実施した場合、日本国内では当然に移動の自由が許されていますので、一旦、永住権を獲得した移民は、以後、日本全国何処にでも移住できるからです。一つの地方自治体が自らの自治体のみを対象として同政策を実施したとしても、その影響は、他の全ての地方自治体を含む全国に及んでしまうのです。
外国人受け入れ政策は、地方自治体レベルで実施されているのが現状のようですが、長期的には、影響の全国的な波及性を考慮しますと、“移民に関連する政策権限を地方に認めるべきか、否か”という政策権限の所在の問題は、国政レベルにおいて提起されて然るべきなのではないでしょうか。まさか出雲市が、大和朝廷ならぬ外国や国際組織に対して“現代版の国譲り”を行っているとは思いたくないものです。
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移民規制の強化を訴えてきたトランプ大統領の誕生は、全世界から人材を集めて成長してきたシリコンバレーにも衝撃を与え、情報・通信企業の幹部は、口を揃えて懸念を表明しました。最近では、AI分野における中国の急成長と相まって、アメリカの移民規制は同産業分野における中国による追い抜きを許すとする批判も見受けられます。
しかしながら、移民規制の強化によって、アメリカは、今後、AIや情報・通信分野において中国に首位の座を明け渡すのでしょうか。人材確保の側面を見ますと、海外からの高度人材の獲得機会が減少するのですから、アメリカの次世代のテクノロジー開発に凌ぎを削る企業にとりましては頭の痛いお話なのでしょう。しかしながら、技術流出の面に注目しますと、必ずしも、アメリカ産業にマイナス影響を与えるとは限らないようにも思えます。
中国が、今日、AIや情報・通信等の先端分野においてもトップランナーを狙う位置につけた要因の一つは、アメリカからの技術移転です。改革開放路線を選択して以来、中国は、アメリカをはじめとした先進国からの技術獲得に積極的に取り組んできました。正式な契約によるもの以外にも、産業スパイや知的財産権の侵害事件等が多発し、国際問題化しましたが、アメリカとの人的交流から技術が流出するケースも少なくはありません。アメリカの大学や研究機関、さらには、企業の開発部門でも、相当数の中国人留学生や研究者が在籍していますし、近年では、中国企業がこれらの高度人材に対して積極的なヘッドハンティングにも乗り出しています。人を介した技術流出は侮れず、アメリカの従来の寛容で開放的な移民政策は、同時にアメリカの技術的対中優位と国際競争力を削いできたとも言えます。
移民推進派の人々は、兎角に流入面におけるメリットのみに注目し、経済に与えるプラス効用を説いていますが、現実には、流出面におけるデメリットも少なくありません。否、長期的には、流出面におけるマイナス効果の方がプラス効果を打ち消す、あるいは、上回る場合もあるのです。国境を開放すれば、当然に、流入するものもあれば、流出するものもあるのですから。中国は、今のところ、トランプ政権の移民規制対象国には含まれておらず、あるいは、従来通り、アメリカの技術が中国に吸収される状態が今後とも続くかもしれません。しかしながら、アメリカのみならず、中国が先端技術を軍事や国民統制に注ぎ込んでいる現実を直視すれば、移民規制の強化が自国を衰退に導くとは言えないように思えるのです。
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【リニア入札談合】ゼネコンに衝撃「これが談合ならリニアできない」
リニア工事の入札をめぐる談合事件において、東京地検特捜部は、鹿島建設と大成建設の大手ゼネコン二社の幹部を独占禁止法違反容疑で逮捕したと報じられております。この逮捕を受けて、東京都は、同二社に対して早々に指名停止の処分を科すそうです。
しかしながら、この都の決定、むしろ、不法、あるいは、権力濫用なのではないかと思うのです。何故ならば、同二社幹部の逮捕は未だ容疑の段階であり、正式に起訴されたわけでも、裁判所で有罪判決が下されたわけでも、ましてや、判決が確定したわけでもないからです。この件に関しては、両社とも徹底抗戦の構えを見せています。また、実際に、大成建設は名古屋駅工区の受注を逃していることから、“談合のシナリオ”通りには決定されておらず、談合が成立したとも言い難いのです。となりますと、裁判においては、必ずしも有罪が確定するとは限らず、東京都の行政処分には法的根拠かなく、推定無罪の原則からも外れているのです。(*本記事に寄せられましたコメントにより、公益財団法人東京都都市づくり公社の競争入札要綱では、逮捕段階でも指名停止ができるとされているそうです。しかしながら、推定無罪は憲法第31条、並びに、刑事訴訟法第336条に根拠を有するとされていますので、同要綱が違憲、あるいは、違法である可能性が濃いものと思われます。)
しかも、指名停止処分を受けますと、鹿島建設では、調節池の集中豪雨対策工事2件の共同企業体として都と既に仮契約を結んでおりますので、この仮契約が撤回されますと実害が発生します。仮に、今後の裁判において無罪判決が確定しますと、東京都は、逆に鹿島建設から損害賠償訴訟を起こされるかもしれないのです。東京都の動きの素早さには、この一件の背後に政治的な思惑が潜んでいる気配を感じさせます。
因みに、この件で思い起こされますのは、インドネシアでの高速鉄道プロジェクト道工事の日本受注失敗の顛末です。同プロジェクトでは、国際協力機構は、自らの費用負担で対象工区の地質や地形を調査しましたが、落札を中国にさらわれる結末となりました。その際、日本国側がインドネシア政府に提出した調査報告書がそのまま中国側に横流しされたため、この一件では、日本国民の多くが憤慨することとなったのです。日本国政府がかくも腐敗しているとは考えたくはありませんが、検察に押収された資料には、企業秘密となる技術情報もあるらしく、石井国土交通大臣が公明党出身者であることも踏まえますと、この疑いを払拭することができません。日本企業の談合を殊更に騒ぎ立てることで、中国や韓国等の企業をリニア建設に呼び込むための布石を打っている可能性も否定はできないのです。
なお、この問題の本をただせば、インフラ建設入札の特殊性があります。事前調査を要するインフラ建設では、一般的な製品の政府調達とは違い、入札する側に受注を逃せば損失となる費用負担が生じます。こうした調査費用のみならず、技術面でも価格のみを決定要因とするには困難な面もないわけではありません。むしろ、この事件を切っ掛けとして、インフラ入札に関しては、一般の競争入札とは異なる仕組みを考案すべきなのではないでしょうか。
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最近のメディアの報道ぶりからしますと、近い将来、人類は、AIに支配されそうな予感がします。しかも、独占的なプラットフォームを構築した米中の情報通信企業が世界を二分する勢力図が描かれ、他の諸国は、ニッチ戦略をとるしかサバイバルの道はないとする意見さえ聞こえてきます。
しかしながら、AIには、重大な弱点があるように思えます。それは、高度な情報分析や複合的な要因が絡み合う複雑な問題に対して自発的に解を導くことができても、感情がないという点です。AIの無感情性は、感情を交えてはならない分野では、存分にその威力を発揮します。好悪、怒り、自己愛といった主観的な感情は、しばしば人間の判断力を曇らせ、誤った判断に導くからです。人間の感情に起因するヒューマン・エラーを回避し、あらゆる偏見を排して的確、あるいは、最適解を得たいならば、人間よりもAIの方が優れているかもしれません(もっとも、AIにインプットされたデータに偏りがある場合には、AIもまた、完全に客観的な判断を下せなくなる…)。将来的には、データの客観性が確保されている場合には、こうした分野においてこそ、AIは幅広く実用化されてゆくことでしょう。
その一方で、メディアが喧伝しているように、ビックデータの活用により商業やサービス業等にまでAIが進出するのか、と申しますと、それは些か懐疑的にならざるを得ません。もちろん、事務的な作業についてはAIに任せられる業務もありましょうが、一般消費者や顧客を相手とする業種に関しては、AIの無感情がその普及を妨げる可能性があります。先日、顔認証システムをファースト・フードの店舗に取り入れれば、新たなサービスが開発されるとする記事が新聞に掲載されていました。それは、顧客が店内に入った途端、設置されたカメラによる映像情報からAIがその人が誰であるのかをアイデンティファイし、過去の注文履歴から解析してその日の推薦メニューを提示するというものです。アマゾンでも、実店舗の天井にカメラを設置し、顧客がそのお店を出るときには、その人が店内で購入した商品を全てスマホ決済で済ませてしまうというシステムを開発中なそうです。
ところが、人間には、自らの行動に関する情報を他者に知られたり、他者から監視されることに対する不快感、あるいは、羞恥心という感情があります。個人情報がプライバシーとして法的に保護される理由も、公や他者に関わらない限り、自己に関する私的情報は自らの権利であるとするコンセンサスに基づいています。ところが、AIの活用によって誕生する新たなサービスの大半は、個人情報の大量集積に基づくものですので、否が応でも、人々の不快感や羞恥心を刺激してしまうのです。例えば、お店に入った途端に、顔認証と過去のデータからとんでもない商品やメニューを店内の掲示画面で提示されましたら、怒り出したり、赤面する人も少なくないはずです。また、犯罪防止目的を越えて、始終カメラ等で監視されているとなりますと、居心地の悪さにお店から飛び出したくなるかもしれません。AIはデータ解析はできても人の感情を読めませんので、顧客の心を掴むのが苦手なのです。
もっとも、こうしたAIの弱点は、中国といった全体主義国では、国民統制のための強力な手段となります。国民の感情を無視して私的領域にまで政府が踏み込み、その一挙手一動を監視することができるからです。このように考えますと、少なくとも自由主義国では、AIの普及には限界があるように思えます。科学技術の発展が人類を幸せにするのか、ここで一旦立ち止まり、深く考えてみる必要がありそうです。
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