で「構成って何?」って話ですが、漫画作りにおける構成って、一言で言うと「一番効果的になるように情報を出す順番を決める」って事です。言い換えると物語でもプレゼンでも、情報を出す順番を変えるだけで、ぐっと面白くなったり、人をひきつけるものになったりするのです。
小説でも漫画でもアニメでもよいのですが、物語を体験していると、自分のなかに「言葉」が降り積もっていくのがわかる。いい言葉も悪い言葉も少しずつ年輪のように重なっていって、いつしかそれが「人格」と呼ばれるようなものになるんだと思う。
物語を体験する、っていい表現だな。
本を読んだり、ひとの話を傾聴したりすることもある。
そして今現在の自分の物語を味わいつつ生きる。
それで積み重なっていくものがある。
体験するというのは、能動的なことばかりではない。
ホリエモンとか、意識高いビジネス本の愛読者とかがよく「リスクを負ってチャレンジしろ、失敗しても命まで取られることはない」みたいなことを言うけど、世の中には、大きなチャレンジをしたわけでもないのに命まで取られた人が、いっぱいいるよな。 pic.twitter.com/nvZn4KLZrU
舞台も稽古もセッションも、
すべからく「今」であるというところが好きなのだと改めて思う。
しかし、そのための仕掛けの時間はいちばん大変というかつらい。
しかもセラピーセッションは行き着く先がそのときまで見えない、
というのがやはり今でもプレッシャーである。
楽しくもあるけれど。
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下川先生のお稽古だん。装束と面をつけて舞囃子。だいぶ「装束慣れ」してきているのがわかりました。装束の重さに逆らわない。面で視野が狭くなっているなら視覚情報に頼らず皮膚感覚で空間認知する。身体的な制約が逆に「舞台でできること」「舞台でなすべきこと」を教えてくれるかのようです。
自覚の訓練を積み重ね、普通でない動きや奇妙な身体感覚を捉えることができるようになると、ドリーミングボディそれ自体が日常生活に現れるようになる。鍛えられた自覚は、後にほぼ自動的に働くようになる。ありふれた活動をしているときでさえ明晰な自覚を保っていられるようになる。
援助職の方、要注意。/「燃え尽き症候群」の10の兆候 | ライフハッカー[日本版] lifehacker.jp/2015/04/150421… @lifehackerjapanさんから
ひと手間をかけるだけで、炊いたご飯のカロリーを60%カットできる | ライフハッカー[日本版] lifehacker.jp/2015/04/150416… @lifehackerjapanさんから
今、某氏と話してて、あまりに感銘を受けたので、ツイートしちゃうぜ。「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。鬱になりそうなとき、それが一番マズい」