(孫引きで申し訳ありません。でも、この祝福された母子の姿に感動しました! 今読んだばかりではありますが……)
今、小津夜景というフランス在住の俳人の『いつかたこぶねになる日』(2023 新潮文庫)というのを読んでいます。
彼女が、シャーロン・ビールスの『鳥の巣 50個の巣と、50種の鳥たち』という本が気に入っていて、とうとう日本語版も買われたそうです。その序文に博物学者のスコット・ヴァイデンソウルがこんなことを書いておられたそうです。
[孫引きになります。申し訳ありません]
「僕が子どものころ、母はブロンドの髪を腰にかかるくらい長くのばしていた。春、そして夏の夕暮れ時になると、裏庭のポーチに座って、鳥のさえずりに囲まれながら、その長い髪を丁寧にとかしていた。
そしてとかし終わると、ブラシについた長さ1メートルほどの薄い色の髪をとり、ポーチの階段のかたわらの格子に伸びるバラの茂みにそっと置いていた。
それからしばらくして、僕は鳥のことを調べるようになり、近所に生息する、ほとんどのチャガシラヒメドリが、――ここ、アメリカでは馬のたてがみをつかって巣を作ることで知られている鳥なのだけれど――母の髪で美しく編んだ金色の器の中に卵を産んでいるのを見つけた」
ということが起こったそうです。
トリたちは、使えるものなら何でも使うし、軽くて細いものなら、巣にも使えると思ったようです。トリたちのアイデアと行動力に感心します。
そして、それを見つけた少年のドキッとするような思い出、お母さんはトリたちを助けようと思ったのではないのでしょう。
ただ、春から夏にかけての夕暮れ、暮れていく空に哀愁を感じておられた。何も日本人だけが「もののあわれ」を感じるのではなく、どこの人でも、夕暮れは感傷的になったりするでしょう。
それとも、スコットさんのお母さんは、特別に夕暮れにやるせないものがあったのか、孫引きしている私にはわかりません。
ただ、子どもとしては、そんなお母さんの後ろ姿にあこがれというか、ぬくもりというのか、いろんなものを感じてたのかなと思うのです。
うちのオカンなら、夕暮れどきに髪をとかすなんて、のんびりしたことはしなかったでしょう。そして、もう私がものこころつくころには、大仏パーマでチリチリの頭だったでしょう。優雅に髪をとかしてるオカンなんて、見たことなかった!