鉄橋を渡る鉄道を上から見渡せる撮影スポットがある、というのは知っていました。一度だけ行ったことがあるような気がするんですけど、あまりにクルマの量が多くて、挫折したところでした。
その鉄橋の横に、クルマは通れないけど、自転車なら走れる橋みたいなのがあるというのはもう何十年も知っていました。でも、行ったことはなかった。
というわけで、たまたま行かせてもらったので、その写真を貼り付けておこうと思います。
ずっと続けてきた柳田国男さんの記事は、昨日、あまりに話が外れ過ぎたので、反省して今日は無しということにしました。明日出直します。
それで、櫛田川です。昔は、ここを越えると、松阪の町は終わりで、ここからは宮川にたどり着くまで延々と野中の道を歩くことになったと思われます。小さな川はありますが、大きな川はないと思うな。
宮川の川原に出たら、ここは大台ケ原とか、南の紀伊山地から流れ出る水が伊勢湾にそそぐ大きな川なので、渡し船が必要でした。でも、今は宮川は関係ありません。その手前の櫛田川です。
ここだって、上流にダムとかなければ、もっと暴れ川だったのかもしれませんが、今はある程度管理された水になっています。水量が豊富な頃は、上流の相可という伊勢本街道の宿場町まで海からの船が着いたというので、そうした行き来ができたころは楽しかったでしょうね。
今は、そんな上流まで上れないし、いくつもの堰があって、ウナギもアユも、いろんなサカナたちも、もう上流に上がりたくないよ、と思うかもしれません。素直にスッと遡れる川なんて、日本にいくつあるんだろう。一つか二つなのかもしれません。
櫛田川も、あちらこちらで寸断されていて、堰が作られ、魚道がそれらしく作られてるけど、そんなのは詭弁です。言い訳です。サギたちは人間の浅知恵をあざ笑うように、魚道でスタンバイして、魚まつりしていましたよ。何ということでしょう。
水はせき止められているので、水かさは増します。まるで人工池みたいになっていて、そこをJRの鉄橋が通っています。
朝日とか、夕日とかを計算したら、それなりの写真は撮れるのかもしれないけど、私には無理でした。
鉄道写真は諦めたから、とにかく、この作られた堰を渡って、対岸まで行ってみましょう。この上流には数キロ先まで橋はありません。下流も、数キロ先まで橋はありません。ということは、10キロくらい橋のない川で切り離されたところがあり、鉄橋と、国土交通省の堰だけが両岸をつないでいます。
名前は何ていうんだ? 「統合頭首工」って、この堰のことなのか、変な名前だなとイマイチよくわからなかったのです。でも、右の上流の水位は堰で上げられた分だけ高くなっていて、左側の下流側は、管理された水が細々と流れているだけでした。
松阪市側から多気町側に渡ってみたんですが、その奥の方に、この堰のところから別の流れが設定されていて、奈良から平安・鎌倉にかけて、天皇家のお嬢さんが天皇の代わりに伊勢神宮にお仕えする斎王(さいおう)というシステムが生き残っていて、そのお嬢さんの住む斎宮の家並みを流れていく祓川(はらいがわ)の分岐点にもなっているようでした。
櫛田川の支流も管理するために、こんな立派な堰を作ったようです。どうして水をためねばならないのか。それは、食糧増産の農業用水だったからでしょうけど、今は、その土木遺産のもとで、私たちは、ただ写真を撮ったり、河川管理のための堰の上げ下ろしなんだろうとか思いつつ、立派なもの、作ったんだねと思うばかりです。
利用しているのは、両岸の住民の一部と、サギとくらいしかないけど、もう作ってしまったものは、壊しようもなくて、せいぜい利用させてもらうしかないようです。
こんな写真を見ていると、まるで木曽川か、長良川か、と思うけれど、そんな大河ではなくて、私の地元の櫛田川でした。
川の向こうの山の上には、やはり南北朝の時代にはお城もできたりしたみたいです。今は、お寺があるはずだけど、私は今もって行けていません。もう少し涼しくなったら、行ってみてもいいかもしれません。