
子貢さんは、田常さんの了承のもと、南の呉(ご)の国にたどりつきます。たぶん、呉の国も、斉の大夫(たいふ)の使いであれば、王としても会わないわけにはいかなかったでしょう。ただの孔子の弟子ではないのです。外交使節なのです。
王に拝謁(はいえつ)して、子貢さんは早速用件を述べます。
「『王者は他国の世継ぎを絶やさず、覇者は敵国を強めない。』そういう言葉を私は聞いております。」
「それはどういう意味かな。王者は、たしかに国の支配者ではあるが、それが他国の世継ぎのことにを心配したり、覇者は敵をこらしめるものだ、というのは当たり前ではないか。ほかに何か別の意味でもあるのか。」
「ハイ、そうです、王様。いま、大国の斉(せい)が、小国の魯(ろ)を吸収合併しようとしております。魯は存亡の危機を迎えております。魯という国の世継ぎが絶えそうなのです。それを王様はお見捨てになられるわけですか。まさか、そんなことはありますまい。
魯を救うのは、明らかな名誉であります。斉を伐つのは大きな利得であります。滅びそうな魯を助けて、国を存続させるのは、王様の寛大さを示すことであり、小国を助ける王様の偉大さを世の中に知らしめることになります。
また、小国の魯を攻めようとしている斉には油断があり、そこに精鋭の呉の兵が向かえば、斉の兵などたちどころに破ることができます。そうなれば、王様は名誉と利得同時に得ることができるのであります。いかがですか。」
「よろしい。だが、わしは、かつて越国と戦い、これに勝って越人たちを会稽山(かいけいざん)に押し込めることに成功した。その後、越人たちはわしに報復しようとねらっている。だから、わしは軽々に動くことはできないのだ。越を完全滅ぼすことができたら、きみのはかりごとに従おうではないか。それまでは待ちなさい。それがわしの言えることのすべじゃよ。」
「何をおっしゃいます、王様! 越の強さは、魯以上のものではなく、呉の強さも斉以上とはいわれません。王様が斉を捨てて越を伐たれるのであれば、斉は魯を滅ぼしてさらに強大になり、やがては呉にも攻め込むほどの国になるでしょう。ものごとは時節が大切なのであります。
王様は、滅亡断絶に瀕(ひん)する魯の保全存続を名分とすべきであります。強斉を恐れて、弱小の越を伐つようでは、それは勇とは言えません。
勇者とは難を避けず(困難から逃げない)、仁者とは困苦(こんく)するものを窮地(きゅうち)におとしいれず、智者とは時機を失わず、王者とは他国の世継ぎを断続させず、と昔から申しております。それぞれおのが筋道を立てるものなのであります。
王様が、越を存続させて諸侯(各地の大名たち)に仁(王としての寛容さ)を示し、魯を救い斉を伐って、晋国に威圧を加えれば、諸侯はかならず呉に入朝(にゅうちょう 国と国との安定関係を築くこと)し、呉の覇業は成就いたしましょう。
もし王様が越を恐れられるのなら、どうか私を越王のところへ派遣くださいませ。越の兵士たちを連れてともに斉を伐つようにさせてみます。そうすれば、越の国は空虚となって、後ろの心配なく戦いに出られるようになります。そのように越の兵士たちを連れて参りますので、王様、私を越に派遣してください。お願いいたします。」
「よろしい。ならば、わしの使いとして越に行かせよう。よい知らせを待っておるぞ。」
かくして、子貢さんは、越の国に向かうことになります。

越王は道路を清めて郊外に子貢さんを出迎え、みずから馬車を御して宿舎に案内し、子貢さんに言います。
「ここは田舎なのに、あなたは何のために、私どもの国までお越しくださったのですか。」
「このほど、わたしは呉の王様に魯を救い斉を伐つように説得に参りました。呉の王様は心で斉を伐つことを希望されておられるのですが、あなた様の国・越を恐れておられて、『わしが越を伐つまで待て』ということでした。
そうおっしゃるからには、呉王さまは、越を破り滅ぼすつもりであることは確かであります。
ところで越王様、復讐する気がないのに、相手にそう疑わせるのは拙劣(せつれつ 下手くそ)であります。
また、報復する気があっても、人にさとられるのは危険であります。
それから、まだ事を始めないのに、事前に察知されるのも危険であります。
以上の三つの点においては、何か事を行うことで配慮すべきであります。」
越王・句践(こうせん)は教えを請うようにして言います。
「かつて私は、自分の力もはからないで呉と戦い、敗れて会稽山中に苦しみ、痛恨(つうこん)は骨髄(こつずい)に徹するほどです。だから、夜昼となく唇を焦がし舌を乾かして、自らを苦しめ、呉王とさしちがえて死ぬとも雪辱(せつじょく)したいのが、わたしの唯一の願いであります。」
子貢さんは建言します。
「呉王は凶暴なお方です。家臣たちは落ち着く時がありません。呉の国家は、度重なる戦いに疲弊(ひへい)し、兵士たちは疲れております。民衆は王を恨み、大臣どもは心の中に反逆心を持ち、一部の大臣だけがわがままなふるまいをしておるようです。
いま、王様が呉王を助けて兵士と贈り物をして、呉王を喜ばせれば、呉王は斉の討伐に向かうでしょう。呉がその戦いで敗れれば、越王様としてはうれしいことではありませんか。また斉に勝てば、その勢いで晋に向かっていくでしょう。
その場合、どうか私を晋に遣わしてください。晋の王様を説得して、呉を伐つようにしてまいります。そうなれば、呉といえども、戦いに疲れてしまうでしょう。その時に、王が呉をお攻めになれば、必ず呉は滅びるでしょう。そのように呉の勢いをそぎ落とすことが大事なのであります。」
越王は大いに喜んで子貢さんの提案を受け入れます。
子貢さんの活躍はまだ続きますが、それは次回にします。みなさま、よくぞここまで読んでくださいました。ありがとうございます!
みなさまがよい秋の日を過ごされることを心よりお祈りいたします。
うちは、三重県の南の方の温泉に行ってきました。いいお天気で、奥さんはお弁当を作ってくれるし、海岸べりを散歩して、何だかしあわせな気分でした。しあわせすぎて何だか疲れてしまいましたけど、早く寝ようと思います。お風呂入ったら、ちらかっている家の片付けをして、そして寝ます。また、明日は明日ですね。
王に拝謁(はいえつ)して、子貢さんは早速用件を述べます。
「『王者は他国の世継ぎを絶やさず、覇者は敵国を強めない。』そういう言葉を私は聞いております。」
「それはどういう意味かな。王者は、たしかに国の支配者ではあるが、それが他国の世継ぎのことにを心配したり、覇者は敵をこらしめるものだ、というのは当たり前ではないか。ほかに何か別の意味でもあるのか。」
「ハイ、そうです、王様。いま、大国の斉(せい)が、小国の魯(ろ)を吸収合併しようとしております。魯は存亡の危機を迎えております。魯という国の世継ぎが絶えそうなのです。それを王様はお見捨てになられるわけですか。まさか、そんなことはありますまい。
魯を救うのは、明らかな名誉であります。斉を伐つのは大きな利得であります。滅びそうな魯を助けて、国を存続させるのは、王様の寛大さを示すことであり、小国を助ける王様の偉大さを世の中に知らしめることになります。
また、小国の魯を攻めようとしている斉には油断があり、そこに精鋭の呉の兵が向かえば、斉の兵などたちどころに破ることができます。そうなれば、王様は名誉と利得同時に得ることができるのであります。いかがですか。」
「よろしい。だが、わしは、かつて越国と戦い、これに勝って越人たちを会稽山(かいけいざん)に押し込めることに成功した。その後、越人たちはわしに報復しようとねらっている。だから、わしは軽々に動くことはできないのだ。越を完全滅ぼすことができたら、きみのはかりごとに従おうではないか。それまでは待ちなさい。それがわしの言えることのすべじゃよ。」
「何をおっしゃいます、王様! 越の強さは、魯以上のものではなく、呉の強さも斉以上とはいわれません。王様が斉を捨てて越を伐たれるのであれば、斉は魯を滅ぼしてさらに強大になり、やがては呉にも攻め込むほどの国になるでしょう。ものごとは時節が大切なのであります。
王様は、滅亡断絶に瀕(ひん)する魯の保全存続を名分とすべきであります。強斉を恐れて、弱小の越を伐つようでは、それは勇とは言えません。
勇者とは難を避けず(困難から逃げない)、仁者とは困苦(こんく)するものを窮地(きゅうち)におとしいれず、智者とは時機を失わず、王者とは他国の世継ぎを断続させず、と昔から申しております。それぞれおのが筋道を立てるものなのであります。
王様が、越を存続させて諸侯(各地の大名たち)に仁(王としての寛容さ)を示し、魯を救い斉を伐って、晋国に威圧を加えれば、諸侯はかならず呉に入朝(にゅうちょう 国と国との安定関係を築くこと)し、呉の覇業は成就いたしましょう。
もし王様が越を恐れられるのなら、どうか私を越王のところへ派遣くださいませ。越の兵士たちを連れてともに斉を伐つようにさせてみます。そうすれば、越の国は空虚となって、後ろの心配なく戦いに出られるようになります。そのように越の兵士たちを連れて参りますので、王様、私を越に派遣してください。お願いいたします。」
「よろしい。ならば、わしの使いとして越に行かせよう。よい知らせを待っておるぞ。」
かくして、子貢さんは、越の国に向かうことになります。

越王は道路を清めて郊外に子貢さんを出迎え、みずから馬車を御して宿舎に案内し、子貢さんに言います。
「ここは田舎なのに、あなたは何のために、私どもの国までお越しくださったのですか。」
「このほど、わたしは呉の王様に魯を救い斉を伐つように説得に参りました。呉の王様は心で斉を伐つことを希望されておられるのですが、あなた様の国・越を恐れておられて、『わしが越を伐つまで待て』ということでした。
そうおっしゃるからには、呉王さまは、越を破り滅ぼすつもりであることは確かであります。
ところで越王様、復讐する気がないのに、相手にそう疑わせるのは拙劣(せつれつ 下手くそ)であります。
また、報復する気があっても、人にさとられるのは危険であります。
それから、まだ事を始めないのに、事前に察知されるのも危険であります。
以上の三つの点においては、何か事を行うことで配慮すべきであります。」
越王・句践(こうせん)は教えを請うようにして言います。
「かつて私は、自分の力もはからないで呉と戦い、敗れて会稽山中に苦しみ、痛恨(つうこん)は骨髄(こつずい)に徹するほどです。だから、夜昼となく唇を焦がし舌を乾かして、自らを苦しめ、呉王とさしちがえて死ぬとも雪辱(せつじょく)したいのが、わたしの唯一の願いであります。」
子貢さんは建言します。
「呉王は凶暴なお方です。家臣たちは落ち着く時がありません。呉の国家は、度重なる戦いに疲弊(ひへい)し、兵士たちは疲れております。民衆は王を恨み、大臣どもは心の中に反逆心を持ち、一部の大臣だけがわがままなふるまいをしておるようです。
いま、王様が呉王を助けて兵士と贈り物をして、呉王を喜ばせれば、呉王は斉の討伐に向かうでしょう。呉がその戦いで敗れれば、越王様としてはうれしいことではありませんか。また斉に勝てば、その勢いで晋に向かっていくでしょう。
その場合、どうか私を晋に遣わしてください。晋の王様を説得して、呉を伐つようにしてまいります。そうなれば、呉といえども、戦いに疲れてしまうでしょう。その時に、王が呉をお攻めになれば、必ず呉は滅びるでしょう。そのように呉の勢いをそぎ落とすことが大事なのであります。」
越王は大いに喜んで子貢さんの提案を受け入れます。
子貢さんの活躍はまだ続きますが、それは次回にします。みなさま、よくぞここまで読んでくださいました。ありがとうございます!
みなさまがよい秋の日を過ごされることを心よりお祈りいたします。
うちは、三重県の南の方の温泉に行ってきました。いいお天気で、奥さんはお弁当を作ってくれるし、海岸べりを散歩して、何だかしあわせな気分でした。しあわせすぎて何だか疲れてしまいましたけど、早く寝ようと思います。お風呂入ったら、ちらかっている家の片付けをして、そして寝ます。また、明日は明日ですね。