昔書いた記事ですけど、はり付けてみました。もう何年もたっているけれど、私そのものは年をとるばかりでちっとも深みも賢さも身に着かなくて、オッチョコチョイでいい加減でボケなことばかりです。
こういうことを教えてもらいたかったなあ。ねえ、お父さん!
左手に触れながら、そういえば、左は父の利き腕だ。この左から繰り出す速球を受けたりした。あのキャッチボールをした時の左手だと、現実と関係のない四十年も前のことを考えた。遠い昔のような、でも、ついこの間のような父の左手の思い出だった。
私は父と五十年ものつきあいだというのに、肝心なところはなかなか上手に話せていない。いつも父にハラハラさせて、心配ばかりかけている。そして、この父が寒いと訴えている今でさえ、何の役にも立たないまま、涙を流して父の手を握っているだけではないか。
しばらくそうしているうちに、少しだけ落ち着いたらしく、父は「おしっこがしたい」と別の訴えを始めた。どうか看護師さん、父のこの訴えも何とかしてあげてくださいとお願いするような気持ちで、父の手を離し、看護師のすることを見ていた。
すると、「管を通していますから、出そうな感じがしますけど、おしっこは出ていますよ」と看護師は教えてくれた。それを聞き、ああ、良かった。父のこの訴えは叶えられそうだと気を取り直し、それではふたたび父の左手を握って、とにかく父とつながろうとしていた。
こうして時間は静かに過ぎていった。夜が近づき、自宅に帰るタイムリミットが来ていた。一緒に待機していた弟と共に病院を出ることになった。彼とは手術の間はあれこれと話をしたのだが、手術が終わってからは、お互いに話をする気力を失って、ただ涙を流すばかりであった。彼には彼の去来する思いがあっただろう。私にもそれなりの思いはあった。それをお互いに出し合うのはこの場にふさわしくないし、今はただ父が回復するのを願う一心であり、ゴチャゴチャとした言葉は要らなかったのだ。
病院の玄関で「そいじゃ」と言い、互いに心の中で「また近いうちに、父のお見舞いに来る時に会おう」と感じつつ、それ以上の言葉は交わさずに別れた。
★ お父さん、またお父さんのこと、ブログに貼り付けちゃいました。家族のことを書くのはあまりよくないことだけど、こんな思いがあったというのはだれかに聞いてもらいたかったのだと思われます。
でも、みんなそういう思いをしてきて、そういうのを経過して今の顔をあるわけで、私は全くそういうところから遠くいられたから、なんだかビックリしたのと、あまりのビックリで浮ついていたのかな……。
今は、少し落ち着いていますが、ポッカリと空いた穴は埋まらないままです。
今でもお父さんはいるような気がするし、本当はもういないし、お父さんの声を聞くことはできないのだけれど、どういうわけか耳に残っているし、なんだか自分がお父さんみたいなことをしているのではないかと、こわくなるくらいです。
この私の声、セキ、みんなお父さんみたいで、ああ、なんだか似すぎていて、母がこんがらがるんじゃないの、それがこわい、とか思ってしまいます。
なんだかアホみたいですけど、なんだか似てきて困ります。困る必要はないけど、戸惑うのです。