
中国の歴史と言葉を始めようと思ったのは、知ってる人はものすごく深く知っていて、したり顔なのに、何も知らない私はいつもボケ面で、せめて言葉だけでも集めて、少しずつ意味を知っていこう、ということで始めました。
相変わらずのボケ面だけど、本当にボケる前にあれこれしておきたいと思います。
というわけで、中国の春秋時代の晋まで来ています。古代から始めて、夏・殷・周ときて、現在は紀元前千年あたりでしょうか。あと三千年もありますから、まだまだ勉強しなきゃいけないことがあります。
西方の周という国が、殷を滅ぼして天下を取った。その時の王様が武王さん。その弟さんが周公旦(しゅうこうたん)さんです。旦さんは幼い成王さんのために政治をサポートして、その献身的な姿が孔子さんの理想となりました。
さて、成王さんは幼かったので、弟さんと一緒に遊んだりする。これは兄弟として当たり前のことです。弟さんは叔虞(しゅくぐ)といいました。
一緒に遊んでいて王様ごっこをしたらしいです。弟の叔虞さんに諸侯として認める玉を与え、「おまえを諸侯にするよ」と言って遊んだそうです。
記録官が王様に、「弟様を諸侯にしなくてはいけません」と促すのです。
幼いとはいえ王様だから、「いや、さっきのは王様ごっこだったんだよ」と言い訳をします。
記録官は言います。「天子に( )言無し」と。……『十八史略』より
★ さて、一度口にした言葉は、出た瞬間から力を持ち、いろいろな影響を与えるものだ。まして王様ならなおさらのことで、一度王様が口にした言葉は絶対的な意味を持つのだ。それを応用して、どんな人も、言葉に責任を持ち、「天子に……言無し」として、いつも緊張して言葉を扱うべきだ、というのに使えそうです。
『礼記』には、子曰く「王の言(げん)糸のごとく、その出(い)ずるや綸(りん)のごとし」というのがあって、その意味は、王様が発言したときは糸のように細いものだが、四方に下って実行されると組ひものように太くなる。だから、「綸言汗のごとし」(漢書)というところまで発展して、天子の言葉は一度口にしたら取り戻せない(汗のようなモノなのだ)……喩えとしてはどうなんでしょうね……、というところまでいくのです。
★ まとめてみます。
1「綸言汗の如し」……天子の言葉は汗と同じように戻らない。「綸言」の読みは? 〈漢書〉
2「天子に( )言無し」……王様の言葉はどんな時も絶対であり、本人が否定したとしても消えない。〈十八史略〉

大木だって伐られてしまえば、ただの切り株だし、言ってしまったことは二度と消えません。
[答え]1・りんげん 2・戯→「戯言(ざげん)」と読みます。
★ 文公さんからさかのぼること300年以上前、晋という国は一族の戯れから生まれたということになっています。道理ではかない国となって、やがては分裂していきます。その中で一瞬だけ、文公さんの時代に光り輝いた時代があったということですね。少し整理できたかな。次こそ、文公さんのことに触れられるでしょうか。