少し古い原稿だけど、ずっとボツになっていたものを、貼り付けてみます。
評判がよかったら、続けることにして、不評なら、もう続きはやめておきます。とりあえず、読み返して、再編集しながら、貼り付けてみます。
どうかな。お父さん、こんなこと書いてゴメンナサイ。そして、それをブログに貼ってごめんさない。何か気にくわないことがあったら、教えてくださいね。
◆ 父の左手
先日父が入院した。一ヶ月後には手術を受けた。父は八十を過ぎているので、いつどんなことが起こるかわからないし、常に覚悟はしていたつもりだった。けれども、あまりに突然なことが起き、めまぐるしいその展開に自分はなかなかついていけなかった。やはり、自分の覚悟など現実の前ではあまり役に立たなかった。ただ、心配していただけで、要はできればそうならないで欲しいという願望だけしか持ち合わせていなかったのだ。
数時間の手術が済んで、看護師だまりの横の部屋に連れて来られた父は、「寒い寒い」と訴えていた。母と弟と私の三人は中へ入るように言われた。どうしたらいいのかわからないまま、看護師が父に声をかける様子を見ていた。受け答えはどうにかできるらしい。何かしてあげなくてはと思うのだが、何をしていいのか全く思考停止状態のまま、ただ父が少しでも楽になることを祈った。言葉は出なかった。ただ強い祈りの気持ちだけだった。
普段から父は寒がりだった。たいていの場面では我慢して寒さに耐えている。そして、母にだけ「足先が冷える」と訴えたり、ちゃっかりフトンを重ねてじっと我慢していたりする。電気あんかは毎冬の初めから愛用している。けれども、手術直後の父は素直に震え、寒さを懸命に訴えていた。
「麻酔は切れて意識はあるから、どうぞそばに寄ってあげてください」という看護師の指示を受けて、真っ先に母が、父に声をかけた。「お父さん」と呼ぶと、
「うん、うん」と父は答え、懸命に「寒い」と訴える。
何とかしてあげなくては……。電気毛布は最高温度に設定してあるという。フトンも二重にかけてある。それなのに寒気が取れない様子だ。母は感情がこみあげてきて、看護師が手際よく処置するのに任せて横を向いて泣き始めた。私はベッドの反対側に行き、父の手に触れようとした。
さっきまでは震えている父に対してどうしていいのかわからなかったのだが、とにかく何かできないかと、フトンに手を入れ、父の手を探した。なかなか見つからなかったが、ようやく探り当てる。
その左手はもちろん冷たかった。数時間の手術に耐えた冷たさで、早くその震えを何とかしてあげたかった。
私は自分の右手だけでは不十分なので、両手で父の左手を包み込もうとした。どうか自分の体温が少しでも父の震えを溶かしますようにと一心に握った。そうしているうちに涙が出てきた。やっと目の前のことと感情が重なったのだろう。そうなると、もう感情は止まらなくなり、涙はあふれた。
自分がいくら泣いても父の震えはどうにもならない。電気毛布と時間だけがそれを溶かすのだろう。けれども、感情は、父にどうかいつもの状態に戻ってもらいたいのだった。
★ と、ここまで貼り付けてみて、私自身はふたたび悲しくなりました。あの時の父の姿がよみがえります。そして、しばらくしたら自分は父を残して、三重県に帰ったのでした。
なんという息子だ。大事なときに全然役に立たない。まあ、親子なんてそんなものだ、と言ってしまえばそれまでだけど、でも、せめてこの世に親子として関係を持てたのなら、精一杯尽くすのも親子だと思う。
私はどれだけ尽くせたのか。全く何もやれていなかったと反省する。昨日、母に電話をすると書いて、結局、今日一日、たいしたことも話せないからと電話もしなかったのだ。別に変わりはないのだからいいだろう、などというつまらない言い訳をしつつ、何もしなかった。
お父さん、アホウな息子をどうぞお叱りください。私は、自分でせいぜい反省して、明日に向かいます。どうせダメな私ですけど、せいぜい頑張ります。
と、父へ、少しだけ話しかけてみました。
でも、父は、「あいかわらずオーバーアクションのビッグマウス、口先だけで、ちっとも行動がともなっていない!」そう思っているだけかな。
少しでも反省します。
評判がよかったら、続けることにして、不評なら、もう続きはやめておきます。とりあえず、読み返して、再編集しながら、貼り付けてみます。
どうかな。お父さん、こんなこと書いてゴメンナサイ。そして、それをブログに貼ってごめんさない。何か気にくわないことがあったら、教えてくださいね。
◆ 父の左手
先日父が入院した。一ヶ月後には手術を受けた。父は八十を過ぎているので、いつどんなことが起こるかわからないし、常に覚悟はしていたつもりだった。けれども、あまりに突然なことが起き、めまぐるしいその展開に自分はなかなかついていけなかった。やはり、自分の覚悟など現実の前ではあまり役に立たなかった。ただ、心配していただけで、要はできればそうならないで欲しいという願望だけしか持ち合わせていなかったのだ。
数時間の手術が済んで、看護師だまりの横の部屋に連れて来られた父は、「寒い寒い」と訴えていた。母と弟と私の三人は中へ入るように言われた。どうしたらいいのかわからないまま、看護師が父に声をかける様子を見ていた。受け答えはどうにかできるらしい。何かしてあげなくてはと思うのだが、何をしていいのか全く思考停止状態のまま、ただ父が少しでも楽になることを祈った。言葉は出なかった。ただ強い祈りの気持ちだけだった。
普段から父は寒がりだった。たいていの場面では我慢して寒さに耐えている。そして、母にだけ「足先が冷える」と訴えたり、ちゃっかりフトンを重ねてじっと我慢していたりする。電気あんかは毎冬の初めから愛用している。けれども、手術直後の父は素直に震え、寒さを懸命に訴えていた。
「麻酔は切れて意識はあるから、どうぞそばに寄ってあげてください」という看護師の指示を受けて、真っ先に母が、父に声をかけた。「お父さん」と呼ぶと、
「うん、うん」と父は答え、懸命に「寒い」と訴える。
何とかしてあげなくては……。電気毛布は最高温度に設定してあるという。フトンも二重にかけてある。それなのに寒気が取れない様子だ。母は感情がこみあげてきて、看護師が手際よく処置するのに任せて横を向いて泣き始めた。私はベッドの反対側に行き、父の手に触れようとした。
さっきまでは震えている父に対してどうしていいのかわからなかったのだが、とにかく何かできないかと、フトンに手を入れ、父の手を探した。なかなか見つからなかったが、ようやく探り当てる。
その左手はもちろん冷たかった。数時間の手術に耐えた冷たさで、早くその震えを何とかしてあげたかった。
私は自分の右手だけでは不十分なので、両手で父の左手を包み込もうとした。どうか自分の体温が少しでも父の震えを溶かしますようにと一心に握った。そうしているうちに涙が出てきた。やっと目の前のことと感情が重なったのだろう。そうなると、もう感情は止まらなくなり、涙はあふれた。
自分がいくら泣いても父の震えはどうにもならない。電気毛布と時間だけがそれを溶かすのだろう。けれども、感情は、父にどうかいつもの状態に戻ってもらいたいのだった。
★ と、ここまで貼り付けてみて、私自身はふたたび悲しくなりました。あの時の父の姿がよみがえります。そして、しばらくしたら自分は父を残して、三重県に帰ったのでした。
なんという息子だ。大事なときに全然役に立たない。まあ、親子なんてそんなものだ、と言ってしまえばそれまでだけど、でも、せめてこの世に親子として関係を持てたのなら、精一杯尽くすのも親子だと思う。
私はどれだけ尽くせたのか。全く何もやれていなかったと反省する。昨日、母に電話をすると書いて、結局、今日一日、たいしたことも話せないからと電話もしなかったのだ。別に変わりはないのだからいいだろう、などというつまらない言い訳をしつつ、何もしなかった。
お父さん、アホウな息子をどうぞお叱りください。私は、自分でせいぜい反省して、明日に向かいます。どうせダメな私ですけど、せいぜい頑張ります。
と、父へ、少しだけ話しかけてみました。
でも、父は、「あいかわらずオーバーアクションのビッグマウス、口先だけで、ちっとも行動がともなっていない!」そう思っているだけかな。
少しでも反省します。