大正五年(1916)三月、二十歳の賢治さんは、盛岡高等農林学校の修学旅行で東京、京阪神へ修学旅行に出かけたそうです。一年浪人をして、やっと入学して、その春には修学旅行なんですね。とりあえず研修するため、あちらこちら回ったのかもしれない。
その時の歌があります。
592 夜だか鳴きオリオンいでてあかつきもちかくお伊勢の杜(もり)をすぎたり
夜行列車で通り過ぎたんでしょうけど、伊勢は海に突き出た半島の真ん中あたりにあるので、夜行列車があるとしたら、東京から伊勢終点の列車があったはずで、それに乗ってとうとう伊勢に着いた。その気持ちの高まりを歌に詠んだところでしょうか。
のちのお話の題材になるよだかをしっかり耳でとらえているところが賢治さんのすごいところです。凡人の私なら、「ああ、トリが鳴き始めた。カラスかなあ」それで終わりか、トリの鳴き声も聞こえないと思います。とにかくキャッチできる力は必要です。
593a あけちかくオリオンのぼり鷹なきてわれはお伊勢の杜をよぎれり
621 さだめなくわれに燃えたる火の音をじつと聞きつゝ停車場にあり
この二つ、同じ時なのかわかりませんけど、星と音と列車と、いろんな題材から物語を生んでいった賢治さんらしい組み合わせです。
蒸気機関車は、私たちに何かを思わせてくれる強烈な存在なんでしょう。いつか近いうちにまた機関車見に行きたいです。
妹のトシさんは二つ年下で、このころは東京の日本女子大学校で学生さんをしています。体調はあまりよくなかったのかもしれなくて、大正七年(1918)の年末には肺浸潤発熱で入院したりするのでした。賢治さんは二十二歳。
その後、花巻に戻り、花巻高女で教諭心得(正式な教員ではないけれど、しばらく雇っておいて、キャリアを積めば教員になれたというところかな?)になります。(1920)
トシさんのせっかくの地元での再スタートも、彼女の病気で途切れてしまい、賢治さんは大きなショックを受けることになります。
トシさんが亡くなってから、お父さんと伊勢神宮にお参りに行きますが(1923)、その二年前にも伊勢神宮を歌に詠んでいます。
大正十年(1921)四月
763 杉さかき宝樹にそゝぐ清とうの雨をみ神に謝しまつりつゝ
ただ神様をたたえる内容になっていますが、それくらい神様にお願いしたい気持ちはあったと思われます。何しろ妹さんは翌年の十一月に亡くなってしまうので、それを何とかしてもらいたいという強い思いはあったでしょう。
でも、神様は命を伸ばしてあげることはできなくて、というのか、それは神様の関わる問題ではなくて、神様はそこにあって人を支えてあげる存在だから、ただ賢治さんたちの生きている姿を見守ってくださるだけなんでしょう。
だから、私たちとしては、神様に見ていてください。お願いします。あつかましいお願いはしないけれど、私たちの思いをとりあえず聞いてくださいと、祈るのでした。